雨ふり
梅雨の真っ最中です。降っているかどうかわからないような雨が、しとしとと屋根瓦を濡らしている梅雨の情景は最近では見かけなくなりましたが、それでもこの時期の日々はうっとうしいですね。そう思いながら窓外の雨を眺めていたら、「雨雨ふれふれ」という童謡が浮かんできました。同じ出だしを持つ「雨雨ふれふれもっと降れ」という八代亜紀の歌もありましたが、いまここで話題にしたいのは、北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡「雨ふり」のほうです。そう、あの「ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン」というレフレインの付いているほうです。念のためにこの歌詞を書いておきましょう。
雨ふり 北原白秋作詞 中山晋平作曲
1 雨 雨 ふれ ふれ かあさんが
蛇の目でおむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
2 かけましょ かばんを かあさんの
あとから行こ行こ 鐘がなる
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
3 あら あら あの子は ずぶぬれだ
柳の根かたで 泣いている
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
4 かあさん ぼくのを 貸しましょか
君 君 このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
5 ぼくなら いいんだ かあさんの
大きな蛇の目に入ってく
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
私も歌詞はうろ覚えでした。とくに2番の歌詞は覚えていませんでした。しかし、いまこの歌詞をあらためて読み返してみると、あのころの社会が見えてきて、昨今との違いに今さらながら驚いてしまいました。
ひとつは、この歌詞のなかに親と子の温かい関係が読み取れることです。急な雨にお母さんは、急いで学校まで子どもを迎えに行きます。雨が当たればパラパラと雨音がする蛇の目の傘をさして。お母さんが降りしきる雨のなかに立っている姿を見て子どもはどんなに嬉しかったでしょう。
雨 雨 ふれ ふれ かあさんが
蛇の目でおむかえ うれしいな
短いこのフレーズのなかに、子どもの気持ちと親子の関係がよく出ています。そして、雨に濡れている子どもに気づく。自分はお母さんの蛇の目に入ってゆくから、ボクの傘を貸してあげよう。他人を思いやる優しい気持ちがしみじみと心に迫ってきます。
この歌詞を読んだとき、かつて(この歌がつくられた大正から昭和初期にかけてのころ)人はなんてやさしい気持ちと豊かな情感を持って生きていたのかと、目を洗われる思いでした。今はお母さんも多くは共働きで、急に雨が降り出してきたからといって、気にはなっても迎えに行けない家庭が多いでしょうし、そんなこと以上に親子の関係も昔ほど濃厚ではなくなってきているのではないでしょうか。子どもに成績向上を強いて反発を招いた親そして母親と兄弟を放火で死に至らしめた息子、パチンコの間車内に幼児を放置して死なせ、また子どもを虐待して死なせた親、そして逆に親を亡き者にした子など、報じられる現在の親子関係はどこか荒んだ状況に達しているようにさえ思われます。
もちろんこれらはごく一部の突出した状況でしょう。でも世相と言って見過ごすには、私たちはとんでもない方向へ来てしまっているのではないでしょうか。家庭そして社会に内在する問題がこのような形をとって噴出しているのではないか、社会全体に感じられる余裕の無さが、そういう現象として現れているような気もします。いま一度自分の周囲を見回し、ひと息ついて、考え直すひとときが必要かもしれません。ひときわ降りしきる窓外の雨を眺めながら、そんなことを考えてしまいました。
雨 雨 ふれ ふれ かあさんが
蛇の目でおむかえ うれしいな
子どもが心からそう歌えるためにも
2006年7月