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Web評論誌「コーラ」
13号(2011/04/15)

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 昔、『無用者の系譜』(64年、唐木順三)という本を読んだ。西行・在原業平・一遍・兼好・良寛・秋成・芭蕉などを論じて、「何故、日本の優れた思想や文学が、世捨て人=無用者によって作られ語り継がれて来たか?」を説いていた。それになぞらえて当つぶやきの標題を『現代日本「ばかもの」の系譜』としてしまふほどに、今「ばかもの」が愛おしい。
 
 本誌恒例のアンケートに答えようと、2010年に観た映画(製作年度不問)から、いくつかの印象深い映画を振り返ってみた。
 毎年、前年観た映画から三作品を選んでコメントする趣向で続いているが、『深呼吸の必要』(04年)、『やわらかい生活』(05年)、『ぐるりのこと』(08年)、『パーマネント野バラ』(10年)、『悪人』(10年)、『ばかもの』(10年)、の六作品が心に引っかかっている。
 登場人物は期せずして、いずれも自身の特性や人柄や境遇が「今」という「時代」への不適合ゆえに、生きにくさを生きる者たちだ。大学偏差値・就職偏差値・就職内定率・排他的競争=強いられる自発性に覆われた職場・過労自死・派遣パートなど非正規社員……。時代の要請を受け容れる「能力」や「技術」や「智恵」を掴む機会に恵まれなかったか、その要請との和解を拒むしかなかった者たちだ。等身大の彼らに寄り添おうと苦闘する誠実な眼差しに充ちた作品たちだ。各作品には、拒絶する社会の側の病理を問う明確な姿勢があり、拒絶される側への限りないシンパシーを込めた応援歌が響いていた。
 
 今年も三作品を選べとのことですので、下記三作品を挙げておきます。(ストーリーは添付サイトをクリック)
 
『やわらかい生活』
(05年、原作:絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』、脚本:荒井晴彦、出演:寺島しのぶ・豊川悦司・妻夫木聡・大森南朋)
 大東京。上場大企業の総合職、キャリア街道を生きるシングル・エリート女性。友の死をきっかけに陥った「うつ」、ドロップアウト、孤独……、それらを受け容れる「やわらかい生活」を求め彷徨いながら、自己再生を「やわらかに」展望する主人公……。寺島しのぶの存在感に救われた作品だった。蒲田というごった煮の土地柄もあってひときわ心に沁みました。
 
『ばかもの』
(10年、原作:絲山秋子、監督:金子修介、出演:成宮寛貴・内田有紀・白石美帆・古手川祐子
 主人公:大学生ヒデは『やわらかい生活』の元キャリア寺島しのぶとは違い、どこにでも居る四流大の学生。社会に出ても入口からしてノン・エリートだ。軽い気持ちで付き合った額子(内田有紀)との関係は、未来を描けぬ者の空疎を埋める時間でしかなかった、と思っていた。が、額子が結婚すると去って行くや、ヒデの心の空白は仕事・人間関係・日常生活を蝕み、何をしても脱落する者となって行く。強度のアルコール依存症となり、やがてそこから抜け出ようとしていた。別離から十年の後、結婚生活を破綻させた額子と再会する。映画のコピーはこうだ。
「10年に渡って額子を追い求めた。たとえ変わり果てた姿になっていたとしても……」
 
『悪人』
(10年、原作:吉田修一、監督:李相日、出演:妻夫木聡・深津絵里・岡田将生・満島ひかり・樹木希林・柄本明)
 出版当時に原作を読んで圧倒され、友人知人にせっせと薦めていた。映画化を知り、深津絵里さんはこなすだろうが妻夫木君はどうだろう? と危惧していた。ところが、逆に彼が十二分に役を果たした。彼に賞を挙げて下さいと言おうとしたら、先日ブルーリボン主演男優賞を獲った。確か、キネ旬でも賞もらったんじゃなかったか?
 主人公:祐一が抱える生い立ち・境遇、人に対して閉じてしまう人格、出会い系サイトで知り合った佳乃(満島ひかり)を殺してしまう経過……。妻夫木君は、地方の、無口で社交性などからは隔たって不器用に生きる、学歴乏しい青年の孤絶を見事に演じたと思う。逢う度に祐一から金銭を得ていた佳乃の虚飾の言動と、地位や高収入青年を射止めたいという上昇志向は、カタチを変えて「ばかもの」ならぬ現代人が採用している処世なのだ。
 観客が抱く佳乃の振る舞いへの嫌悪の感情は、実は自身に棲む佳乃的処世へ向かっているに違いない。やがて殺人者祐一は、その後またも出会い系サイトで知り合った光代(深津絵里)との逃避行へ……。彼女は、祐一が初めて触れ合うことができた異性であり、何事かを「共有」できた唯一の人間だった。祐一が光代に「もっと早く出会っていれば……」と言うのだが、芯に届いて痛かった。
 
【雑感】
『やわらかい生活』の寺島しのぶが、ほぼ掴んでいよう虚構のキャリア生活の相対化、『ばかもの』の成宮寛貴が仮到着した内田有紀との再生活のスタート……、それに近いものを『悪人』の妻夫木君は築けなかったのだろうか……。 否。それが、光代が犯人逃亡幇助に問われることを避けようと、最後に『悪人』を演じる祐一の余りにも哀しい「ばかもの」の情愛表現だった。
 人は、自分一人の力で苦境を脱することはできない。振り返れば、その希少な機会をぼくもあなたも、どこかで得たからこそ今日があるのだ。
 祐一とぼく……、それは僅かな偶然の違いなのだ。
 『悪人』一篇は、「祐一とは読者・観客のあなた自身ですよ」と告げている。そう告げ得た祐一に光あれ。もしそう思えるなら、我らは、「We」であり、「ばかもの」なのだ。
 ならば、その「ばかもの」を相手にしてくれたあの方々(某詩人・某教授・某友人・某女房など)も「ばかもの」もしくは「ばかもの」応援者に違いない。「ばかもの」は「ばかもの」に出遭うことによってのみ、「ばかもの」だけにしか見えないものの価値を掴み、そこから全てを構想する可能性へと進めるのだ。
「品川宿:たそがれ自由塾」塾頭を自認するぼくの残された時間は、小賢しい処世の「智恵者」派ではなく「ばかもの」派だろうと思い定めている。
ひとつの事件を、被支配者たちは個別性から解放し、それに歴史性を付与することができる。
 歴史性とは、自分とは異なる位相で抑圧にさらされている他者への視線を、現在・過去・未来にかんして獲得しうる、という可能性である。(池田浩士)
 選んだ三作のうち二つもが原作:絲山秋子だという事実に、この作家の並々ならぬ「今日性」を思う。なお、少し前(04年)なので除外した『深呼吸の必要』の成宮寛貴に『ばかもの』で再会したのだが、この『深呼吸』の出演者(香里奈・大森南朋・谷原章介・成宮寛貴・長澤まさみ・他)が、今や各方面で翔いている姿に、ぼくは偶然ではないものを感じている。
 映画の持つ「力」を過信している「映画バカ(もの)」のぼくではある。(http://www.yasumaroh.com/?p=9104)そして、『踊る大捜査線』など「クソ食らえ」のぼくでもある。(http://www.yasumaroh.com/?p=8388
 

★プロフィール★
橋本康介(はしもと・こうすけ)1947年、兵庫県生まれ。1970年、関西大学社会学部除籍。1977年、労働争議の末、勤務会社倒産。5年間社屋バリケード占拠の中、仲間と自主管理企業設立。1998年、20年余の経営を経て、同企業及び個人、自己破産。2002年、『祭りの笛』出版(文芸社)。フリーター生活開始。2006年、『祭りの海峡』出版(アットワークス)。現在、東京単身出稼ぎ業務中。ブログ「たそがれの品川宿

Web評論誌「コーラ」13号(2011.04.15)
コラム「コーヒー・ブレイク」その6:2010年に観た映画−現代日本「ばかもの」の系譜(橋本康介)
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