正義の戦争はあり得るか?
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「正義の戦争なんてあるはずがない。 戦争はしょせん人殺しである。いかなる理由をもってしても、人殺しを正当化する理論なんてあり得ない。」と単純に言い切れないところが、国際政治の難しいところである。
1,三つの戦争観 (1)正戦論(中世) (2)無差別戦争観(近代〜19世紀) ただ、そうした中でも戦争をルール化しようとする動きはあった。人間がケンカという行為をボクシングやプロレスというゲームに変えたのと同じ発想である。戦時といっても何をしても許されるわけではなく、戦争の時でも守るべきルールがあるというのである。こうした考えを最初に打ち出したのが、グロチウスであり、彼は『戦争と平和の法』(1625年)を著した。ただし、ここでいう法(=ルール)とは、人間が作ったものではなく、自然界に存在し、人間の理性の力で発見されるもので、一般に「自然法」とよばれる。こうしたことから、グロチウスは「国際法の父」とか「自然法の父」とよばれたりするようになった。
こうした戦争のルール化はその後も継承され、1899年のハーグ陸戦法規では、毒ガスの禁止などが決められた。また、1907年のハーグ陸戦法規では、「開戦に関する条約」が結ばれ、戦争をするに際しては、宣戦布告をすることが取り決められた。今日、当然のように思われるこうした取り決めも、当時は明確なルールがなく、日露戦争にしても、日清戦争にしても、明確な宣戦布告の前に実質的な戦争状態に入ってしまっていた。 (注、国際人道法という法律は存在しない。国際人道法とは、上記の条約を含む人道に関する取り決めの総称である。1899年のハーグ陸戦法規は、国際人道法の「走り」と考えられる。)
(3)戦争の違法化(第一次世界大戦後〜現在) 1920年 国際連盟規約 とくに国連憲章第2条第4項は、「全ての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を…………慎まなければならない」と述べ、戦争の違法化を戦後の国際社会の柱として強く打ち出した。 ただし、あらゆる戦争は違法だとしても、次のような場合は戦争をすることが許されている、とするのが国際法の常識である。 国際法上許される戦争
およそ、全ての戦争が違法だというならこんな分かりやすい話はない。あらゆる戦争に反対すればよいからである。そうではなく、場合によっては許される戦争もまた存在するからややこしい。 夜道を歩いていて暴漢に襲われれば、自分の身を守ることは「正当防衛」で無罪である。また、暴漢を捕まえて裁判によって刑罰という「制裁」を加えることも正義にかなう。それと同じで、国際社会でも許される戦争はあり得るのである。 ただし、違法ではない戦争があったとしても、それが正義の戦争であると言えるかどうかは議論の余地がある。すくなくとも、個人レベルで見ればいかなる理由をつけても戦争は「人殺し」であり、正義とよべるような代物ではないはずである。
2.正義は勝つか? 歴史に「もし」ということはあり得ないが、もし第二次世界大戦で日本が勝っていたら、今頃日本の教科書は第二次世界大戦をどのように記述していたであろうか。「アジアから欧米の勢力を追放し、近代500年の欧米中心の世界の流れを変えた正義の戦いをした」とでも書くのであろうか。そして、米・英・仏を「アジアやアフリカを植民地として食い物にした鬼畜国」とでも書くのであろうか。
また、アメリカについては、「広島
・長崎に原爆を投下し、武器も持たない一般市民を何十万人も大量虐殺した戦争犯罪者」とでも記述するのであろうか。 現代において、アメリカは世界の3つのMを握っているといわれる。Military,Money,Media の3つである。今日、アメリカといえども「正義」が自らにあることを国際社会に納得させることなくして戦争を遂行することは不可能になっている。 正義か否かは国際世論が決めると言ってもよい。その意味で自らの正当性をアピールするための Media の役割がますます重要になってきている。戦時におけるアメリカの情報が本当に正しいものなのか。目をよく開けて、耳を澄まして、あらゆる角度から物事を見る力が大切である。
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