1、いまなぜ規制緩和か?
これまでの日本の政治経済は、官主導のもとで「原則禁止・例外許可」で動いてきた。これを「原則自由、問題がある場合のみ禁止」というアメリカ型に修正しようというのが規制緩和論である。この背景には、三つほど理由があるように思われる。
第一の理由は、「大きな政府」が行き詰まり、「小さな政府」を実現するために規制緩和が必要であったことがあげられる。第二次世界大戦後、資本主義諸国ではケインズ政策が採用され、経済・福祉・行政などの面で政府が大きな役割をはたすようになった。ところが、同じ仕事でも民間企業がやれば安くて早いのに、政府が介入すると高くて遅くなる。しだいに「市場の失敗」があると同じように、「政府の失敗」もあることが意識されるようになり、行政国家に対する批判が高まった。とくにオイルショックに際してケインズ政策が行き詰まり、それに乗じてフリードマンらのマネタリストが台頭した頃から、しだいに「大きな政府」を批判する声が高まった。ケインズ政策による財政赤字が膨らんだことも「大きな政府」批判に拍車をかけた。
1975年、アメリカはニューヨーク証券取引所の手数料を完全自由化したのをはじめ、1980年代にはレーガン大統領が大型減税と規制緩和による競争原理を導入し、「小さな政府」の実現をはかった。また、イギリスは1970年代までイギリス病とよばれる経済停滞に悩まされていたが、1986年にサッチャー首相が証券制度の大改革(いわゆるビッグバン)を実施し、「小さな政府」を指向し始めた。米英におけるこのような「小さな政府」実現の試みは、結果的には非常にうまくいった。イギリス経済はよみがえり、アメリカ経済も1990年代に入って劇的な復活を遂げた。 第二の理由は、国際競争が激化し、規制緩和が必要になったことがあげられる。アメリカ・イギリスが「小さな政府」を指向し、大きな成果をあげていた頃、日本では相変わらず官僚主導による「大きな政府」が幅をきかせていた。官僚は1万件を越える許認可権をもち、それをテコに民間企業に大きな影響力をもっていた。金融機関の護送船団方式やコメの輸入制限に象徴されるように、日本社会全体が国の規制で競争を制限することで仲良くやってきたのである。
ところが、その島国・日本にも国際化の波が押し寄せてきた。規制緩和によって競争力をつけた外国企業が日本に進出あるいは輸出攻勢をかけてきた。加えて日米貿易摩擦がこれに追い打ちをかけ、日本に市場開放を迫った。黒船来襲。突然厳しい国際競争のなかに立たされ、競争力のない企業は市場から退場することを迫られた。銀行、証券会社、生命保険などで大型倒産が相次いだ。日本企業が生き延びる方策はただ一つ。日本も規制緩和を導入し、競争力をつけることしかない。こうして規制緩和の大合唱が始まった。1993年、細川内閣によって規制緩和が最重要政策の一つとなり、さらに1996年11月、橋本内閣は日本版ビッグバン(=金融大改革)に着手した。
2001年、小泉内閣は「改革なくして成長なし」「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」のキャッチフレーズの下に、公共事業削減、郵政民営化、財政投融資改革、地方への税源委譲、などの政策を次々に打ち出した。
2、規制緩和の具体例
1,金融自由化
これまで日本の金融機関は護送船団方式と呼ばれる方法で、政府によって手厚く守られてきた。この結果、競争力のない非効率な金融機関は淘汰されることなく温存された。しかし、国際化の進展とともに、ビッグバンで鍛えられたアメリカの金融機関との競争が激しさを増すと、日本の金融機関は苦況に立たされた。国際競争に勝ち抜くためには、日本も金融の自由化に踏み切らざるをえなくなった。こうして1980年代に入り、まず金利の自由化が行なわれ、さらに1996年の金融ビッグバンにより業務範囲の自由化が一気に進んだ。また、金融機関の再編が旧財閥の枠を超えて急速に進み、三井・住友グループ、三菱
東京UFJグループ、みずほグループ(富士・一勧・興銀)、の3つに統合されたのをはじめ、金融持ち株会社も解禁された。
2,コメの自由化
1993年12月、ウルグアイラウンドでコメの部分開放が決まった。日本政府はコメの関税化を拒否したものの、国内消費量の
8%にあたる数量の輸入(ミニマムアクセス)を義務付けられた。
一方、1999年4月1日からはコメの関税化が実施され、関税さえ払えば誰でも輸入できるようになった。現在のところ関税
率は、490%(精米の場合は778%)と非常に高い。しかし、今後、関税を引き下げれば、中国米(現地価格で1キロ40円)がドンと入ってくるものと思われる。
なお、関税とは別に、現在もミニマムアクセス米として、日本は関税なしで年間77万トンの輸入義務がある。
3,大店法の廃止
1974年、中小小売商を保護するため、大規模小売店舗法が施行された。これにより百貨店・スーパーなどの大型店の新設、閉店時刻・休業日数などを事前調整することが定められた。しかし、日米構造協議で、大店法が大型ディスカウント店の出店などを妨げているというアメリカからの圧力があり、店舗面積や閉店時刻がしだいに緩和された。その後、大店法は2000年6月1日、大店立地法の施行と同時に廃止された。
立地法では店舗面積1000uを越える大型店の出店について、周辺の生活環境への影響を中心に審査がなされることとなり、大型店の出店が大幅に自由化された。アウトレット店、トイザラス、カルフール(仏)などの出店が相次ぎ、地元商店街は大型店に客を飲み込まれ、苦況に立たされている。
4,株式売買委託手数料の自由化
日本の証券会社の株式売買委託手数料は、国際的にみて割高だった。このままではニューヨークやロンドン市場に負けてしまう。国際化が進んだ結果、なにも手数料の高い東京市場で株や債権を買う必要がないからである。1999年10月、株式売買委託手数料の完全自由化が実施された。それにより証券会社間の熾烈な手数料引き下げ競争が展開されている。とくにインターネットを用いた取引では、自由化前の10分の1になっているケースもある。
5,携帯電話に見る企業間競争
携帯電話市場は1990年代から急拡大した。しかし、国内の契約者数は1億件を突破し、市場は飽和状態に近付き、新規加入者数は伸び悩んでいる。2006年にはナンバーポータビリティが始まり、NTTドコモ、au(KDDI)、ソフトバンクなどの通信キャリア間で顧客の奪い合いが過熱してる。au(KDDI)が「着うた」など有力コンテンツや若者をターゲットにした端末でシェアーを拡大しているのをはじめ、ソフトバンクも安価な料金設定プランで着実にシェアーを伸ばしている。一方、NTTドコモは約5割のシェアーを保ってはいるが苦戦を強いられている。2007年にはイーモバイルが新規参入をした。市場のますます活性化が期待される。
6,電力小売の自由化
2000年3月に施行された電気事業法の改正により、大口需要家(全体の約3割)に対する電力小売が自由化されるとともに、電力会社以外の供給者が電気の小売をできるようになった。これを受けて、東京ガス、大阪ガス、NTTの共同子会社エネットが電力小売に参入することを表明した。エネットは2001年2月19日に行なわれた大阪府の入札(予想使用電力851万キロワット時)で、関西電力の料金より5、5%安い1億6225万円で落札し、関西圏の電力事業を独占する関西電力に競り勝った。一方、一般家庭が太陽光発電で得た余剰電力を電力会社に売り、電気料金を節約することも可能になった。日本の電力料金は欧米より2〜3割高いといわれ、それが企業の国際競争の足かせになっているという批判があったが、今回の改正で電力料金の値下げが進むと思われる。
7,航空料金の自由化
運輸省は1996年、国による需給調整を段階的に廃止すると宣言した。これを受けて2000年2月からは航空法が改正され、国内航空の需給調整がなくなった。この結果、許可制から届け出制に代わり、航空各社はダイヤや路線、運賃設定などを原則として自由に決定できるようになった。航空券を安く買う方法としては、早割(搭乗日の21日前に予約)で約6割引き、早朝便・深夜便の利用で約5割引き、往復割引きで約15%などがある。
8,保険料の自由化
1998年7月から、自動車保険や火災保険などの損害保険の保険料率が自由化された。考えてみれば、自動車事故の発生率は、車の使用目的や年令などで大きく異なる。それにもかかわらず、保険料を一律にして徴収するというのは不合理である。これからは外資系損保の参入も激しくなり、「殴り合いの価格競争」が展開されることも予想される。その他、生命保険にも保険料引き下げ圧力が押し寄せてきており、低価格商品が相次いで発売されている。
9,酒類の販売
1989年、酒販売免許制度が改正され、その後スーパーやコンビにでも売れるようになり新規参入が増加した。その結果、一般小売店のシェアが83%(91年)から66%(96年)に低下している。一方、地ビール製造免許の条件を緩和した結果(1994年)、260場で地ビールが生産されるようになった。
10,車検制度の改革
ユーザー車検の導入、車齢が11年を超える自家用車の車検の有効期間の延長(1年→2年)、自家用車の6ヵ月点検の義務付けの廃止、などが実施されている。
11,医薬品のカテゴリーの見直し
今までリポビタンDなどのドリンク剤は薬局・薬店でしか販売ができなかったが、1999年の薬事法改正により医薬部外品となり、コンビになどでも販売が可能になった。この結果、その市場規模は1700億円(98年度)から約2000億円(99年度)に拡大したと推定される。
12,教育における自由化
1997年、物理と数学の分野について博士課程をもつ大学に限って、17歳の大学入学(飛び級入学)が認められるようになった。現在のところ国公立大学では千葉大が導入しているだけである。教育の自由化は、高校の学区廃止、再編成などにも見られる。
13,法曹人口の拡大
規制を緩和すれば、自己責任が増大するとともに、様々なトラブルが増加し、裁判が急増することが予想される。政府はこれに備えて、司法試験に代わる制度として、新たに法科大学院(ロースクール)を作り、法曹人口を毎年3000人程度増やす方向で検討している。(詳しくは「職業選択のためのガイダンス」の項を参照されたい)。
その他、パスポートの有効期間の延長(5年→10年)なども規制緩和の一貫とされる。
3、規制緩和の光と影
規制緩和は、私たちの生活にどのような影響を与えるのだろうか。政府による規制がなくなった分、私たちはより大きな自由を手にする。しかし、自由と引き替えに、より大きな責任とリスクを引き受けなければならなくなることも確かである。規制緩和のもたらす功罪にはどのようなものがあるのだろうか。
(規制緩和のもたらす光の部分)
@企業間の競争が激化し価格が低下し、サービスが向上する。その結果、消費者が恩恵を受ける。
A規制緩和により新たなビジネスチャンスが生まれる結果、日本経済が活性化する。
B個人の努力が報酬となって報われる社会が到来する。これまで日本の企業では年功序列型賃金制のもとで、個人プレーよりもチームプレーが重視されてきた。その結果、賃金はそれほど能力差を反映せず、年齢とともに上昇した。しかし、これからは個人の能力が報酬に跳ね返り、能力の差がそのまま賃金に反映される時代がくる。それは社員のやる気を引き出し、企業を活性化させる。自分の能力に自信のあるものは、さらに起業して独立するかもしれない。いずれにしろ、悪平等は追放され、リスクをとったものに対しては、個人の努力と才能に見合った報酬が約束される時代がくる。
(コラム)
成果主義の導入
日興証券では、総合職1700人の給与体系を一新したという。新入社員もベテラン社員も月給は一律30万円。その代わり、本人のあげた成果をボーナスで反映させる。成果が芳しくなければ加算額は0円(年収=360万円)。しかし、大きな成果をあげれば、最高400%、金額にして1440万円が基本給に加算される(年収=1800万円)。成果に応じて年収に大きな差がつく。
それにつけても、「哀れ」なのは中高年の人たちである。若い頃は会社に大きく貢献したにもかかわらず年功序列型賃金の安月給でこき使われ、ようやくそれ相応の年齢になったと思ったら、新入社員と同じ扱いにされる。社員のやる気を引き出すためとはいえ、踏んだり蹴ったりである。
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(規制緩和のもたらす影の部分)
一方、規制緩和がもたらす次のような負の部分も見過ごせない。
@競争の激化によって終身雇用や年功序列型賃金制が崩壊する一方、起業によって莫大な富を築く者が出現する結果、貧富の差が拡大することが考えられる。
A競争が激化する結果リストラ・失業の増大も懸念される。
B競争の激化にともなう激しいコスト削減競争が展開される結果、技術の低下や安全性に問題が起きないかが心配される。実際問題として、ここ数年、家電製品や自動車、タイヤなどの欠陥商品が急増していることが社会問題になりはじめている。
Cウインブルドン現象も間違いなく起きる。イギリスがかつて規制緩和をした結果、イギリスの企業は競争に破れ、勝ち残ったのは外国企業ばかりという現象が起きた。これは、ウインブルドンのテニス大会で活躍するのは外国勢ばかりということにたとえて、ウインブルドン現象と呼ばれる。これと同じ現象がいま日本にも起きつつある。約10社ある日本の自動車会社で生き残れるのはトヨタとホンダだけだと数年前から言われていた。当時はそんな馬鹿なとも思ったものだが、だんだんその通りになってきた。
規制緩和は、決してバラ色の世界ではない。競争の激化による「資本の本質=むごたらしさ」はすでに19世紀に証明されたところである。しかし、世界的規模の大競争のなかで、日本だけが大競争を逃れるすべはない。
最後に、規制緩和問題を論じるとき、一般的に「規制は悪」・「規制緩和は善」という固定観念でみられがちだが、もちろんそうではないことも指摘しておきたい。規制の中にはぜひとも必要なものも多い。医師を開業するのに医師免許は絶対必要だし、独占禁止法も公正な競争確保のために不可欠な規制である。どういう分野での規制が必要で、どういう分野での規制が廃止されるべきかは難しい問題である。
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