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指導教諭になった理由
私が高校教師になったのは31歳の時だった。大学の助手、民間のシンクタンク研究員をへて、3つ目の職業でようやく自分の生きる道を探り当てた。最初は期限付き講師で、教えた科目は「社会」ではなく
、なんと「英語」だった。
希望に胸を膨らませて、生まれて初めて立った教壇。しかし、高校現場は予想だにしない荒れた世界だった。私語を交わす生徒、立ち歩く生徒、先生に暴言を吐く生徒、時には暴力行為に及ぶ生徒
も・・・。
もちろん、こうした生徒は多くはない。しかし、教室の中で「やんちゃな生徒」が1割いると授業はうまくいか ない。2割もいると、もはや授業は成立しない。そんなある日、生徒から投げかけられた言葉が今も忘れられない。
「先生、俺ら英語知らんでも生きていける」
返す言葉がなかった。
半年間の講師生活をへて、社会科の教諭になった。授業への苦闘は続いた。勉強をしたくない生徒を前に、クラスに行くのがいやになったことが何度あったことか。そうした中でもきちんと授業をしている先生がおられた。物理のK先生だった。授業がうまくいかなくて悩んでいた私は、ある日その先生に相談に行った。「南さん、よかったら僕の授業を見に来ませんか」。地獄に仏だった。
以来、24年が過ぎた。もうすぐ団塊の世代の教員が大量に退職し、新人の先生が大量に入ってくる。
55歳になった今、今度はわれわれがそのノウハウを伝える番である。もちろん、私自身たいした授業ができているわけではない。しかし、たとえ恥をさらすことになろうとも、授業公開によって少しでも盗み取ってもらえるものがあるなら本望である。若い教師もベテランの教師も、生徒にとっては1回限りの授業である。手術を
する時、オペの経験が少ない若い医者だからといって、手術の失敗が許されるわけではない。教育も同じである。
「プロの教師である」ということは決して生やさしいことではない。
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