五三(シチゴサン)


 2007年01月23日

 

 学校関係者の間で「シチゴサン」とよばれる言葉がある。学校で習うことの理解度は、小学校で7割、中学校では5割、高校では3割程度しかないという意味である。今日、高校進学率は95%に達するが、高校で習う内容が国民の95%に理解されるほど簡単なものとはゆめゆめ思えない。では、多額の税金を使って彼らに分かりもしない教育を施すのは無駄なことなのだろうか?

 ある人いわく、実はこの無駄は決して無駄になってはいないのだという。つまり、勉強なんかぜんぜん分からなくても、授業中じっとおとなしく座っているだけでも忍耐力の養成に役立っているし、また、相性のあわない生徒や教師とも折り合っていくことで協調性を身につけるトレーニングにもなっているというのだ。

 なるほど、学校というものを教科の学習を目的とするのではなく、英語も数学も物理も体育も、将来必要とされるであろう資質を身につけるための手段と考えれば、それなりの意義がある。そう考えれば、たとえ欠点であっても教師の指導に従うことを条件に合格点を「おまけ」としてつけてやることには十分意味がある。

 今まで、まったく想像したこともない指摘に、教育の深さを見た思いがする。

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