叱る



 2007年06月21日
 

 人間の性格はいろいろである。骨太の人もおれば、繊細な人もいる。繊細な神経の持ち主のうちの何パーセントかは精神的に病むこともある。経験的にいえば、0.5%くらいだろうか。1学年320人とすると、約2人くらいである。精神的に病むまでいかなくても、「打たれ弱い」生徒の数はもっと多い。 注意されたり叱られたりすれば、人間誰しも落ち込む。しかし、最近の生徒はその程度がちょっとひどいように思う。

 その原因はいろいろ考えられる。少子化が進み、蝶よ花よと大事に育てられて、家庭で叱られたことがないからかもしれない。また、親が信念を持っていないために、厳しく叱らないからかもしれない。あるいは、親子の接触時間が少ないために、父親が毅然とした態度をとりにくいせいかもしれない。親が子どもの機嫌をとってどうすると思うのだが、案外、最近はそうした親子関係が普通なのかもしれない。

 こうした状況にさらに拍車をかけるのが、学校と保護者との関係である。先生が生徒をきつく指導し、それが原因で万が一「不登校」にでもなれば保護者は黙ってはいない。裁判になり、学校側の指導のまずさが問われることになる。いくら生徒のためを思ってやったこと でも、結果がうまくいかなければ必ずしも教育委員会が教員を守ってくれるわけではない。

 その結果どうなるか。生徒のことを思って本気で叱る先生がいなくなってしまう。当たらずさわらず、はれ物にでもさわるように接しておけば、やっかいな事態にはならない。自分の身は自分で守るしかないのが今の教育現場の実態だ。かくして 打たれ弱い人間がますます増えてしまう。

 戦後の教育論では、「叱る」ことより「ほめること」の大切さが説かれてきた。確かに、一生懸命やってそれがうまくいき、タイムリーにほめられるとやる気が出る。ほめられることによって人間は育つと言ってよい。
 しかし、しょっちゅうほめてばかりいると、ほめられることに慣れてしまって、叱られたときのショックが非常に大きなものになってしまう。だから、ほめてばかりでもダメである。

 俳優の森光子が舞台作家の菊田一夫にほめられたのは、1971年の「10年間、無駄飯は食ってなかったな」という一言だけで、生涯でその1回だけだったという。
 ほめ育ても難しいが、叱ってやる気を引き出すというのはもっと難しい。叱られたら、とりあえず無条件に自分を反省してみる、という大切なことが、現代の教育から忘ら れているのではないか。
 

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