歴史の評価

2008年1月2日

 

 秀吉が朝鮮半島を攻めた。韓国は今なおこの問題を日本を黙らせる必殺パンチとして繰り出す。確かに現在の価値観からすれば、弁明の余地はない。しかし、何百年も前の歴史を、現在の価値観で断罪することは慎重でなければならない。

 たとえば、秀吉が生きていた頃、スペインは絶対王政フェリペ2世の絶頂期だった。そして、秀吉はフェリペ2世とフィリピンを巡ってしのぎを削った。結局、フィリピンはスペインの手に落ちた。フィリピンという国名がフェリペ2世に由来することは言うまでもない。

 ついでに言うと、当時のスペインは世界最強の国として、メキシコや南米の人々を1200万人も殺し、アステカ文明やインカ文明を滅ぼした。それだけではない。彼らの言葉さえスペイン語に変えてしまった。しかし、400年たった今、こうした残虐な行為に対する中南米の怨念の声は不思議とあがらない。一方、韓国はいまだに400年も前の秀吉を持ち出す。
                 
 歴史に「もし」ということはないが、一つの仮説として様々なケースを考えてみることは無意味ではない。もし、日本が1910年に朝鮮半島を植民地にしていなかったら・・・。
 国際政治では、ある地域が政治的に真空状態になれば、そこにどこかの国が侵略してくることは常識である。真空状態が永続することはあり得ない。

 だとすれば、もし日本が朝鮮半島を植民地化しなかったとしても、どこか他の国が日本と同じことをした可能性は十分にある。帝国主義時代には、弱肉強食は国際政治の常識であり、弱小国は滅ぼされるのが当たり前だったのだ。

 イギリスなんかは、「未開の人々にイギリス文明をもたらすことは、彼らにとっても幸せなことだ」とうそぶき、侵略を正当化した。そうした当時の常識を一切無視し、現在の価値観だけで過去の歴史を断罪するのは、果たして正当な評価といえるのだろうか。

 断っておくが、だからといって私は日本が朝鮮半島にインフラを整備するなど良いこともしたなどと言うつもりは毛頭ない。そうした主張をする輩もいるが、私はそうした立場の人とは無縁である。ただ、歴史の評価は現在の価値観だけでなされてはならないということを主張したいのである。


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 年末の休暇を利用して「チャングムの誓い」のDVDを見た。久しぶりに見たおもしろい映画に正直言ってのめり込んでしまった。

 作品自体は、中宗(李氏朝鮮第11代国王 在位1506年- 1544年)時代に記述された一行のみの史実をもとに、脚本家、キム・ヨンヒョンがほとんど100%想像でストーリーを書いたものである。

 しかし、作品の中に込められた「儒教文化」「官僚である両班(ヤンパン)の持つ権力と権力闘争のすごさ」「汚名をすすぐ執念」などは 見ていて大いに参考になった。もし、こうした伝統が今も韓国に残っているとするならば、日韓の関係を修復するのは、日本人が考えるほど簡単ではないだろう。 なぜなら、韓国の文化は日本人の「水に流す」文化(悪く言えばすぐ忘れる文化?)とは正反対 かも知れないのだ。

                 ◆  ◆  ◆

 そういえば、こんなジョークがあった。
レストランで出てきたスープに蠅が入っていた。そのときの反応は国によってどのように違うかを描写したものだ。

ドイツ人 ……このスープは熱いので十分殺菌されている、と冷静
                   に考え蠅をスプーンで取り出してからスープを飲む。

フランス人……スプーンで蠅を押しつぶし、ダシをとってから
                     スープを飲む。

中国人  ……問題なく蠅を食べる。

ロシア人 ……酔っぱらっていて蠅が入っていることに気がつかない。

アメリカ人……支配人を呼び、あげくに裁判沙汰となる。

日本人  ……周りを見回し、自分だけに蠅が入っているのを確認してから、
          そっとボーイを呼びつける。

韓国人  ……蠅が入っているのは日本人のせいだと叫び、
                     日の丸を燃やす。

          (出典『世界の日本人ジョーク集』早坂隆 中公新書ラクレ) 
 

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