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日本の保守主義
2007年02月16日
保守と革新の違い
今日は、もっとも書きたくないことに挑戦する。最近急速に台頭しつつある日本の保守主義についてである。
保守主義とは、簡単に言えば、人間の理性の限界性をわきまえ、今ある制度を打ち壊して、新しい社会に作り替えるという発想に疑問を持つ思想である。つまり、根底に人間の理性に対する疑いを持つのが保守主義である。
その結果、新しく作り替えるリスクを犯すよりは、長い歴史を通して作られた伝統にこそ人間の知恵と合理性があると考える。イギリスの政治家、エドモンド・バークや日本の小林秀雄、福田恒存、江藤淳、山崎正和らはそうした立場に立つ。
これに対して、革新は人間の理性を信頼し、社会を新しく作り替えることにより人類は進歩すると考える。革新と保守の対立はフランス革命とその反動として明確化された。
日本の保守主義の特徴
では、日本における保守主義とは何か。日本がその歴史を通じて培った伝統とは、政治的には天皇制であり、精神的には神道、仏教、儒教、武士道などである。この中でも序列があり、天皇制の維持が一番重要とされる。そして天皇制を支える付随的な精神思想として神道、儒教、武士道などが重視される。
典型的な保守主義者は、日本は100代もさかのぼれば、みな天皇を中心とする一つの血族ファミリーであり、日本という国はいわば天皇をオトン、皇后をオカンとする一つの家族であるとする。一つのファミリーであるから、両親が子どもを思うように天皇は国民を思い、子どもが両親を慕うように国民は天皇を慕うのが当然だとされる。
また、国家と国民との関係は、まず国家という大きな枠組みがあって、その枠組みの中で初めて個人の幸せが考えられるとする。従って、家族が家を守るために一生懸命になるのと同じように、国民が国家のために犠牲になることをいとわないことは当然の義務とされる。以上がヨーロッパ流の保守主義を日本に適用したものである。
二つの保守主義
一方、日本の保守主義にはもう一つアメリカ流の保守主義が混在している。すなわち、米国流の保守主義は個人の能力を信頼し、自分で人生を切り開く徹底した競争原理を重視する。アメリカには「大統領になる自由もあれば、乞食になる自由もある」といわれるが、そうした言葉の背景には、こうした保守主義思想がある。国家と個人の関係は、個人は国家に忠誠を誓いながらも、基本的には個人の独立が尊重される。アメリカは建国以来、「自由」という理想を実現するために、文字通り「社会契約説」を地で実行してきた国でもある。
要約すると、日本の保守主義は、ヨーロッパ流をベースにしながら、一部アメリカ流も取り入れ、分かりにくいものになっている。現在の自民党の政策は、小泉政権以来アメリカ流の保守主義色を強め、競争原理礼賛オンパレードとなっているが、その一方で、憲法改正を打ち出し、ヨーロッパ流の保守主義の復権をもはかろうとしている。
天皇制を巡る保革の対立
これに対して、革新とよばれる人は、天皇制や封建的なにおいが残っているものをことごとく否定し、真に平等な社会を作ろうとする。平等を目指すところから、日本の革新主義は社会主義と同一視され、革新=社会主義者・共産主義者という印象を与えているが、これは必ずしも革新の正しい理解ではない。
ソ連崩壊以来、革新勢力はすっかり自信を失い、輝きを失ってしまった。
さて、今後の日本というものを考えるとき、はたして天皇制というものが日本に本当に必要かどうか、慎重に考える必要がある。
日本の革新を自認する人たちは、人間が生まれながらにして平等だと説く時代に、なぜ天皇という特別の存在を認める必要があるのか。天皇制はすぐ廃止しろと主張する。
一方、保守主義は天皇制を擁護する。天皇制はこれまで、日本が混乱に陥ったとき日本を混乱から救い、統一するための中心として機能してきた。明治維新はその典型である。日本社会が「平民」だけの世の中になれば、「おれが、おれが」という争いが生じやすい。そこに天皇という「血筋の伝統」をもちだせば、誰もがひれ伏さざるを得ない。だから、天皇制は日本が混乱したときの「保険」として残しておくべきだという主張である。
天皇制を維持するために国民が払っているお金は、内廷費、宮廷費、皇族費、皇宮警察、宮内庁などすべてを入れても200億円あまり。国民一人当たり年間200円ちょっとである。このくらいの保険料なら高くはないか、と考えるかどうか。
最近、急速に保守主義が台頭しているが、天皇制の問題はさておき、個人よりも国家を優先させるという思想にはちょっと危険性を感じている。 |