逃げ得

 

2009年1月28日


 バブルというゲームから早く降りた人、小泉純一郎、グリーンスパン。この3人に共通するのは何か。
 それは「逃げ得」をしたということである。逃げ得という言葉が悪ければ、情勢を客観的に見極め、引き際が鮮やかであったと言い換えても良い。いずれにしろ、絶妙のタイミングで第一線を退き、後難を免れた人たちである。

 泉純一郎が首相に就任したのは2001年である。バブル崩壊後の経済立て直しという重責を担って、「小泉劇場」とも呼ばれるパフォーマンスで国民の支持を集め、市場経済への移行・郵政民営化・公共事業の縮小を推進した。小泉の政策を一言で表すなら、「小さな政府への回帰」「アダム・スミスへの先祖返り」ということである。

 1980年代にアメリカやイギリスが実行して成功を収めた規制緩和政策を、遅ればせながら日本にも導入し、バブル崩壊後の経済立て直しの切り札にしようとしたのである。生産コスト削減のために、「成果主義」が導入され、労働者派遣法を改正し製造業への派遣の解禁にも踏み切った(2004年)。こうした政策と、中国への輸出増加に牽引されて、日本経済は景気回復に向かった。

 しかし、18・19世紀型の「小さな政府」を目指せばどうなるか。結論は簡単である。貧富の差が拡大し、雇用が不安定になり、市場という「暴力」に翻弄される社会が到来する。そのことは歴史が証明している。実際、終身雇用や年功序列型賃金という日本的経営システムは21世紀に入って急速に崩壊し、労働組合は機能しなくなり、労働者は激しい競争にさらされることとなった。

 確かに市場重視の政策は効率性を高める。しかし、その一方で負の影響を持つことも確かである。今にして思えば2004年に労働者派遣法が改正され、製造業にも労働者を派遣できるようにしたのは行き過ぎであったと言わざるを得ない。
 現在、働いている人の3分の1は非正規雇用(アルバイト、パート、派遣・請負など)であり、25歳以下に限って言えば2分の1が非正規雇用である。大学を出ても正社員になれない人がたくさんいる。異常というほかない。景気しだいで企業の使い捨てにされるアメリカ型の雇用形態が果たして日本に適していたかどうか。昨今の派遣切りの報道に接するたびに考えさせられる。

 しかし、小泉はそうした負の側面が表面化する前に身を引いてしまった。しかも、再び総裁に担ぎ上げられないように、政界からも引退してしまった。どうも、首相というのはみんな「客観的に自分を見ることができる」人種のようである。


 一方、
リーンスパン
元FRB議長の身の処し方も鮮やかであった。長い間「金融の神様」としてあがめ奉られ、アメリカ金融界に君臨してきたが、最後の数年間に「住宅バブル」という種をまいて辞めてしまい、今では「サブプライムローン問題の張本人」とまで酷評されるまでになった。確かに、あれほどの見識の人でも、バブルかどうかの判断は難しかったのかもしれない。しかし、グリーンスパンは日本の80年代後半のバブルを徹底的に研究していたはずである。実際、アメリカの好景気を住宅バブルだと主張する報告がいっぱいあった。しかし、グリーンスパンは「住宅バブル」を「バブル」とは認めたがらなかった節がある。なぜもっと手を打てなかったのか。ただし、威光が地に落ちたという点では「逃げ得」とまで言うのはかわいそうかもしれない。

 人間は何時の時代にも「労せずして大金を得たい」という欲望がある。だから、歴史上、バブルはしばしば発生したし、これからも発生する。特に不動産は金額が大きいだけに、いったんバブルに乗ると得られる利益も莫大だ。バブルの最終局面に起きる「掉尾の一振」(とうびのいっしん)は一度その味をしめると、そのゲームから容易に抜け出すことができない。しかし、バブルはいつか破裂する。過去に起きたバブルはみんなそうだった。結局、逃げ損をした人が多かったのではないか。逃げ得ができるのは、政治家だけなのかもしれない。
 

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