逃がした魚
 

2007年2月15日


 人生に迷いはつきものである。朝、家を出るとき傘を持っていこうかとか、お昼は何を食べようかといったどうでもいいことから、大学の選択、就職はどうする、結婚は?・・・・といった重大な決断まで、人はしばしば判断に迷う。しかし、いつまで迷っていても仕方がない。決断なんてものはしょせん1秒もあればできる。「えい、やっ」。これで一気に解決である(笑)。

 決断をするとき、一番気をつけたいのは「欲に目がくらむ」事である。典型的なのは株の売買である。今自分がどういう状況に置かれているかは、後から振り返ればよく分かるが、そのときはなかなか分からない。経済では、今この瞬間を客観的に判断することは専門家でも難しい。

 2000年のITバブルのとき、900万円で買った株 (あのころはリッチだった(笑))が、1ヶ月後に約2000万円にまで値上がりしたことがある。1ヶ月で1000万円以上のもうけである。そのとき、頭の中では「売りだ」という声が99%くらいを占めた。しかし、残り1%は「まだまだいける」という声が占めた。 大相場の最後の局面で「掉尾の一振(とうびのいっしん)」があるということも当時は知らず、迷ったあげく、結局、残り1%に賭ける勝負に出た。住宅ローンを一気に返済したいという思いもあったし、何よりもこの企業はまだまだ伸びると信じる気持ちが強かった。どうやら人間には信じたいものだけを信じるという不条理が存在するらしい。

 あとから見れば「売りだ」と直感したその日がピークだった。その日を境に値下がりし始めたのだ。いったん大相場が崩れると、「山高ければ谷深し」のたとえ通り、下げ足は速い。ところがここでも判断ミスを犯した。バブルであることを認めたくなかったのだ。だから、売り逃げすればいいものを逃げなかった。株価はその後もずるずると値下がりし続け、結局200万円まで下がってしまった。逃がした魚は大きかった(笑)。

 「えい、やっ」と決断して、うまくいったものもあれば、失敗したものもある。でも、失敗しても後悔はしていない。そのときは自分なりに最善の判断をしたと思っているからだ。たとえ失敗しても自分の好きなようにやったという思いがあればあきらめもつく。そういう失敗があるからこそ人生は面白いのかもしれない。

 

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