年賀状

2007年12月2日

 

 「年齢を重ねるにつれて、光陰は、ますます矢の如くに感じられる。気がつけば今年も、はや師走である」(2007年12月2日 天声人語。)今年もまた年賀状の季節がやってきた。
 もらうのはうれしいが、書くのは正直言って面倒くさい。年末の忙しい時期に、しかも、まだ新年を迎えてもいないのに「明けましておめでとうございます」なんて、「そりゃ、ないやろォ」と思ってしまう。10年くらい前までは、プリントゴッコで印刷していたが、さすがに今はパソコンで作成する。住所録も簡単に打ち出せるから、宛名書きがずいぶん楽になった。

                 
 ところが、去年、大失敗をしてしまった。忙しいさなかに大急ぎで年賀状づくりをしたため、宛先の住所欄を忘れ(ウッソー!)、郵便番号と氏名だけで「投函」してしまったのだ。
 早速、1通が宛先不明で返ってきた。見たときの動揺は今も鮮明に心に残る。「ゲッ、住所が書いてない!」「ウソッ」「パソコンでやっているから、1通だけということはない。ということは。まさか・・・
 ところがそのまさかだったのだ。翌日から次から次へと郵便受け箱に返ってくる。毎年、年賀状は80通以内と決めているのだが、半分くらいは返ってきてしまった。それでも半分くらいは届いたのだから、日本の郵便制度は立派というべきか。
                
 世に「失敗学」なる学問があるそうだ。
 言い出しっぺは畑村洋太郎東大名誉教授。それによると、世の中が便利になるにしたがって、何でも機械まかせとなり、人間は横着になって事故が起きる確率が高まっているという。私の先の失敗例などその典型だ。日本には失敗を恥として隠そう隠そうとする傾向があるが、むしろ今後の教材として公にするべきだと畑村教授は主張する。畑村教授に1票。

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 それにしてもネット時代の今時、年賀状の風習なんてそろそろ無くなってもいいのではないか・・・と思いつつ、今年もその勇気が無くて書いている。 そう言えば、日経新聞(2007年12月2日)に「もらってうれしい年賀状の一言」というのがあった。

@いくら手書きでも「旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」みたいな慣用的な表現は無意味

A具体的な指導や支援を書いて「そのことにとても感謝しています」というように、その人だけに対するメッセージが付いているものがよい。

B自分のことは3割程度にとどめ、相手について7割のつもりで書くのがよい。
とくに、相手の身体を気遣う内容が喜ばれる。

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 これまでにいただいた年賀状の中から印象に残ったものを二つ。
一つは、大学時代の1年後輩からもらったものである。
 「今年は55歳を迎えます。思えば長かったのか、そうでなかったのかよくわかりません」。
 これは名言ですね。自分自身を振り返ってもあっという間の人生だった。ついこの前就職したばかりだと思っていたのに、気が付けば定年まであと4年を残すのみ。「長かったような、短かったような・・・」
                  
 もう一つは高校時代の教え子からもらったものである。
この子は高校時代から「将来は気象予報士になって、テレビに出てくる天気予報のお姉ちゃんになるのが夢」だった。北海道大学理学部に行ったのだが、このたび大学院を無事修了し、4月から日本気象協会で働きはじめたとのことである。めでたし、めでたし。テレビに出るようになったら、サインをもらおうっと(笑)。
 

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