忘己利他(もうこりた)
 

2007年2月13日


 「もうこりた」とワープロで打ったら「もう懲りた」と変換された。なるほど、忘己利他は「もう懲りた」に通じるかもしれないと、一人苦笑してしまった。

 忘己利他とは、自分を忘れて他人のためにつくすことをいう。「己を忘れて他を利するは、慈悲の究極なり」と最澄は述べているが、世界宗教といわれるもののなかで、この精神を否定するものはない。ヨーロッパのノブレス・オブリージュも同じ精神である。

 人間同士がうまくやってゆくための秘訣は相手を尊敬し、相手を第一に考えることである。すなわち、忘己利他の精神である。しかし、実はそれが一番難しい。自分がかわいいからどうしても、自分を第一に考え、自分が得をしよう、 自分が楽をしようという気持ちが先に立つ。相手を気づかう気持ちは二の次三の次になる。

 しかし、考えてみれば自分一人がうれしいというのは、そこで完結してお終いである。それに対して、相手が喜ぶのを見てこちらがうれしくなるというのは大人の喜びであるともいえる。
 桶に水を張り、ぽちゃんと小石を投げ込むと波紋が同心円状に広がる。その輪はやがて縁にあたり、また真ん中に戻ってくる。相手を喜ばせてあげると、やがて自分のもとに喜びが戻ってくる。

 ただし、他人に利益を与えるからといって、見返りを期待する気持ちは持ってはならない。「情けは人のためならず」という言葉もあるが、これには(密かに)見返りを期待する心情が感じられ、忘己利他ほどには精神が高尚ではない気がする。忘己利他はあくまでも見返りを期待しないのだ。根本のところで忘己利他の心があるか、ないか。そのことが、その人の品格を決めるといってよい。

 生徒のために一生懸命やって、それがうまくいくとこちらまでうれしくなる。まさに教師冥利は忘己利他そのものであるといってよい。忘己利他は、他に利益を与えるからといって、自分は不利益をかぶり、不幸にな るということではない。他を幸せにすることで、自分も幸せになるということである。

 ところで、結婚したての頃あれほど忘己利他の精神があったのに(笑)、いつの間にか忘れ去られていないか。反省したい。
 

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