人は見た目が9割
人は見た目が9割
2006年12月2日
『人は見た目が9割』(竹内一郎 新潮新書 2005年)という本がある。
筆者よると人間が伝達する情報のうち、言葉によって伝わる部分は7%にすぎず、残り93%は顔の表情や、仕草、身だしなみなどによって伝えられるという。すわわち、「人は見た目が約9割」というわけである。顔の表情や仕草など、言葉以外によるコミュニケーションをノンバーバル・コミュニケーション(nonverbal communication
非言語的コミュニケーション)という。
ノンバーバル・コミュニケーションの代表と言えば、まず「身だしなみ」である。たとえば、テレビに出てくるドロボーは、必ず唐草模様の風呂敷を背負い、顔を手ぬぐいで隠した姿をしている。もちろん、実際のドロボーがこんな格好をしているはずがない。しかし、テレビを見ている人にとって、この格好は一目でドロボーと分かる。つまり、唐草模様の風呂敷は典型的なノンバーバル・コミュニケーションなのである。
私たちは小さいころからよく、「人を外見で判断してはいけない」と教えられてきた。しかし、はたしてそうか。世の中の多くの人は、まず外見で人を判断しているのではないか。もちろん、背広にネクタイのドロボーがいないわけではない。だが、著者はあえて今までの常識に異を唱え、「人は外見で判断しても基本的に問題はなく、ごくまれに例外があるだけだ」と主張する。
茶髪、へそ出しルック、短いスカート、破れかけたジーンズ、腰パン(ベルトを極端に下げてズボンをはくこと)などが発するノンバーバル・コミュニケーションとはいったい何か。これらが本当に流行の最先端を行く個性的ファッションといえるのか。(もっとも、みんながしていることを「個性的」というのもおかしな話ではある)。
世の中には「危険なものほど面白い」という法則がある。
ファッションも同じである。決められたことと違ったことをすると、ある種のスリルを感じることができる。しかし、あまりに見苦しい(みすぼらしいではない)服装は、自分の軽率さを世間にさらけ出しているだけだと思うのだが、そうした考えは古くさいのであろうか。
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