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教員の給料
2007年06月10日
今から40年以上前の話になる。学校の先生が自宅で塾を開いたり、放課後予備校のアルバイトにいったりすることはなかば公然とおこなわれていた。教員の給料が安く、それだけでは食べていけなかったからである。
当時、教員は金銭的に決して魅力のある仕事とは言えず、先生に「でも」なろうか、先生に「しか」なれなかったということから、「デモシカ先生」などと自虐的に呼ばれたりした。
事態が変わったのは、田中角栄内閣が1974年に教員人材確保法を制定してからである。教員の給与が基本給で12%、諸手当を含めれば一気に約25%引き上げられた。その結果、優秀な人材がこぞって教育界に参入するようになった。それ以来、教員は行政職より給与面で優遇され、おまけに夏休み冬休みがあり、「先生っていいわねえ」と世間からねたまれる存在になった。
ところが、1990年にバブルが崩壊し、様子が変わり始めた。デフレとリストラが進行し、民間給与が下落する中で、「クビ」もなく年功序列型賃金が保障されている教員に対する風当たりが強くなったのだ。給与は
ここ数年、毎年引き下げられている。その結果、
2馬力ならともかく1馬力なら生活は苦しく、毎月毎月の赤字をボーナスで埋め合わせる生活だ。
そのうえ、夏休み・冬休みはなくなった。また、2002年に学校週5日制が導入され、
労働条件はさらに厳しくなった。公立の進学校では、私学と対抗するために7時間目を導入したり、土曜日に先生が学校に出てきて無報酬で講習をやることが日常的におこなわれるようになった。平日の業務が増えた上、土曜日も出勤することが当たり前のようになったのだ。
現在、小中高教員の平均残業時間は1日約2時間。一般公務員の3〜4倍だといわれる。教員の残業は事務職と同様の時間管理が難しいため、全教員に一律4%の教職調整額が支給されている。残業をしてもしなくても4%の残業手当がもらえるなら「おいしい話」ではないか、と思われるかもしれない。
しかし、人材確保法が制定された頃の教員の残業時間は月8時間であった。それが現在では月30時間を超えている。それだけではない。実は、この30時間という数字には土日のクラブ付き添い等の時間は含まれていないのだ。
土日の出勤を考えると、実質的超過勤務時間は月50〜60時間は軽く超えていると思われる。日本の教師は世界一忙しい?と言うのは、本当かも知れない。
しかも、クラブ活動で1日出勤しても「教員特殊勤務手当」が2500円つくだけである。丸1日拘束しておいて、その代償が2500円とはずいぶん人を食った話である。生徒のためと思って教員は文句も言わず働いているが、実はみなヘトヘトに疲れ切っている。
そこへもってきて、さらに追い打ちをかけるような新しい給与体系が計画されているらしい。現在支給されている4%の残業手当を廃止し、教員全体の給与を一律2.7%引き下げ、その差額の1.3%を原資として「メリハリ」をつけた給与体系にしようというのだ。
つまり、よく働いた人とそうでない人に、働きに応じて給料に差をつけるのである。減った4%を取り戻したければ、少なくなったパイのぶんどり合戦をせよというわけである。教育界に成果主義を導入し、教育の質を高めようという魂胆であるが、はたしてもくろみ通りに行くかどうか。
もし、教員の給与水準が引き下げられれば、優秀な人材が集まらなくなる。そうなれば、その行き着く先は・・・。
教員も人間である。残業手当も出さないモラル頼みの教育行政では、いずれ教員の質の低下は免れない。
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