Where am I ?

 

                (2004年6月12日)

 

 三国丘高校から岸和田高校に転勤をして、改めて「理想の教師」とは何かを考えるようになった。

 

(授業に関して)
 
重要なことと、どうでもいいこととの区別がつかず、どうでもいいことを時には「ウソ」をまじえて教えるのが三流教師。「豊富な知識の量」で生徒を圧倒し、力でねじ伏せている間はまだ まだ二流。教える量を少なくして「切り口の鋭さ」で生徒をアッと言わせ、その科目を大好きにさせるのが一流教師
 さて、私はいま、どのあたりを歩いているのだろう? 

(生徒指導に関して)

 以前、大失敗をしたことがある。 ある生徒から、「先生は生徒の一人一人を見つめていない」という批判をされた。これは真実をついていただけに、ぐさっと胸に突き刺さった。

 実は、当時、進路部長をしていて、学校全体を切り盛りするのに忙しく、自分の受け持ちクラスのことが後回しになっていたのである。本来なら、部長職にあるものは担任から外れるならわしであった。しかし、学年主任から「どうしても担任を引き受けて欲しい」と懇願され、断り切れず引き受けてしまった次第である。

 しかし、それが間違いの元だった。やはり担任を引き受けるべきではなかった。クラスのことも一生懸命やっていたつもりではあったが、生徒には不満だったのだろう。生徒にとって担任は一人である。いくら一生懸命やっていると言っても、しょせん、言い訳にしか聞こえなかっただろう。

 それ以来、教員の仕事は、結局一人一人の生徒とどれだけ向き合うことができるかだと悟った。担任がない今、200人以上の生徒を相手に授業をしているが、いまだに一人一人の名前を覚えることすらおぼつかない。理想の教師にはほど遠いというべきか。

 

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