教育政策の転換(2)

 一般に学力をグラフにすると、ほぼきれいな正規分布になる。すなわち、非常に良くできるグループと、全くできないグループ、それに平均的な真ん中のグループである。
 ただし、誤解のないように予めことわっておくが、学力と人格は全く別である。いくら勉強ができても人間的に信用できない人もいるし、逆に勉強はできないが人間的にはものすごく尊敬できる人もいる。そうした事例をこれまでたくさん見てきた。ここでの議論は学力と人間性は別だということをふまえた上での議論である 。

 批判を恐れずに言えば、勉強に向いていない人にいくらお金をつぎ込んでも、時代を動かすような大発明には結びつきにくい。大発明には、高い学力が必要である。だから、一人(または少数の)天才的な発明家を生み出そうとするならば、予算は学力の高い1%か2%の生徒に集中的に 投下し、徹底的に鍛え上げたほうが効率がよい。

 これまでの日本の教育は、真ん中のグループにあわせて行われてきた。「全員頑張ろう」と言えば聞こえはよい。しかし、これは優秀な人材をほったらかしにする無責任な教育にほかならない。(ウソだと思うなら、中学校の授業を見てみよ。彼らは塾で勉強し、学校は遊ぶところだと心得ている。そうした 「生の声」をいっぱい聞いた。)

 グローバル競争が激しくなり、このままではいけないと危機感を高めた産業界の要望を受け入れ、文部科学省はようやく教育政策の舵を大きく転換し始めた。国家の教育エネルギーを少数のエリートを育てるために重点的に配分するようにしたのである。教育界に 競争原理が持ち込まれた。

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