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教育政策の転換 2007年02月20日 人間が教育によって何にでもなれるというのは幻想でしかない。しかし、戦後多くの人がこの幻想を追い求め、平等教育・民主主義教育の名の下に、すべての人に同じような教育を施してきた。ところが、今、日本の教育政策が大きく変わろうとしている。
最大の理由は、日本の技術力がアメリカに追いつき、物まねをする対象がなくなったからである。今までの教育のあり方では日本は国際競争に負けてしまうかもしれない。戦後日本の高度成長はアメリカから新技術を導入し、それを応用して輸出を増やすことで実現してきた。ところが、日本経済が発展し、今やアメリカをしのぐ技術力を持つようになった。となると、これからの新技術は日本人自身の手で発明するしかない。平等教育はは高度成長を支える大量の労働者を生み出すには適していたが、新技術を生み出すには適していない。新しい技術を生み出すには、少数のエリートに徹底的にお金をかけ、育てる方が効率的である。 そうした事情に追い打ちをかけたのが、中国や東南アジア諸国の輸出攻勢である。安い賃金を武器に低価格で国際市場に乗り出してきた。日本製品がこれに対抗するには、彼らに作れないような付加価値の高い製品を作り出すしかない。誰でもが作れるような製品では、国際競争を勝ち抜けない。付加価値の高い製品を作るには、高度な技術が必要だ。そのためには、教育のあり方を根本から変える必要がある。 結局、グローバル化する中で、これからの日本が生き残るには、一人(または少数)の天才的な発明に1億人がぶら下がっていくしかない。そのためには教育のあり方を変えるしかない。 かくしてこれまでの平等教育という教育のあり方そのものの見直しが始まったのである。 |