2008年1月2日
結婚するなら 京大生、
デートをするなら 神大生、
引っ越しするなら 阪大生(笑)
「京大の単位は空から降ってくる」
「神大の単位は道に落ちている」
「阪大の単位は地面を掘っても見つからない」
(阪大 いちょう祭)
上に掲げたのは、いずれも大阪大学で語られる有名なジョークである。
阪大の学生は確かによく勉強させられる。これに対して、京都大学の学生は・・・・・
 もちろん、京都大学にも言い分はある。総合人間学部(地学教室)のホームページに、かつて次のような趣旨のことが書いてあり感心した。
「京都大学の教育方針は、一言でいえば放任主義である。
第一に学生が教官の「枠」からはみ出さなければ、科学の発展はない。卒業研究のテーマも狭い意味の地球科学にこだわらないし、他学科、他学部の講義を積極的に聞くことを薦める。
第二に、大学は「畑」である。卒業生の製造工場ではない。育つのは「学生」であって、教官は肥やしと水をまくくらいしかできない。そして、曲がったキュウリも曲がったなりに育てるのが京大の伝統である。育たないものを無理やり育てることもしない。きれいな言葉で言えば「自由」であるが、この言葉には落とし穴がある。
自由は決して気楽なものではない。自由である以上、その結果はすべて自分の責任である。」
このすばらしい言葉が、今どこにも掲載されていないのは惜しいことである。
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