中国人高校生との交流     

                                                           2006年11月20日

 

 2006年11月20日(月)大阪府立岸和田高校多目的ホールで、本校1年4組の生徒と中国の高校生13名との間で交流会がもたれた。3〜4人の小グループを作って、その輪の中に中国人高校生が加わり歓談したが、向こうの人たちは日本語が全くできない。こちらは中国語ができない。したがってコミュニケーションの手段は英語しかない。
 まず、準備した地図帳で中国のどこから来たのかを説明してもらう。ウルムチから来た人、山西省から来た人などさまざまである。ウルムチから来た生徒は北京まで飛行機で3時間かかったと話していた。
 ついで、漢文の教科書を見せて、李白や杜甫の文章を読んでもらった。現在中国で使われている漢字は「簡体字」といって、日本で使われている漢字とは微妙に異なる。だから、たぶん日本の漢文の教科書は読めないだろうと思っていたが、そこは中国選りすぐりの秀才たちである。難なく読んだのにはこちらのほうがビックリしてしまった。
 そのほか、ゲームを通して日本の歴史に興味を持ったという中国人生徒は、日本史にめっぽう詳しく、信長、家康、秀吉といった有名人ばかりではなく、われわれが知らない日本人武将の名前まで知っていたのには正直驚いた。

  

 

生徒の感想
@英語力の水準の違いにビックリ
 
「同じ第二言語として英語を学んでいるのに、発音もボキャブラリーの多さも
  比較にならなかった」
 「英語で会話する練習をもっとしなければならないと痛感した」
 「ほとんど会話が成り立たなかった。英語が伝わらなかった」
 「毎日英語の授業があるのに、あんなにも差があることにショックを受けた」
 「半分くらい何を言っているかわからんかった」
 「学ぶという意識の高さに驚いた」
 「勉強せなあかんという気持ちになった」

 日本人にとって英語は難しい言語である。日本語で「私はあなたを愛しています」というのを中国語では 我愛你(ウォー、アイ、ニー)と表現する(你はyouの意味)。これはすぐ分かるように英語のI love you. と同じ語順である。われわれが漢文を読むとき「返り点」を使ってひっくり返して読むことからも分かるように、中国語の語順は基本的に英語と同じである。日本人が英語をモノにするには、中国人以上の努力が必要といえる。しかし、日本人の学習時間は中国に比べると非常に少ない。ある生徒はこんな感想を書いている。
 「中国の高校生と交流した中で一番驚いたのが、中国では1日9時間も授業があることでした。土曜日も5時間の授業があるらしいので、今の私たちの勉強量と比べてすごい差があるなあと思った」
 


A筆談で会話
 入口、出口、信長、秀吉、家康、大雨、小雨、などはすべて日本語と同じである。もちろん、中には日本と中国とでは意味の異なる単語もある。汽車と書けば中国では自動車の意味だし、手紙はトイレットペーパー、娘はお母さん、飯店はホテルを意味する。しかし、発音は違っていても漢字で書けば分かり合える部分が多い。
 「漢字を書いたら大体のことが中国の人に通じた」
 「筆談で何とか会話ができてよかった」
 「漢文を読んでくれたときは、これが中国語かあーと思って感動した」
 ちなみに、経済、社会、権利、義務といった用語は、もともとは明治の日本人たちが苦労してヨーロッパ語の概念を漢字に翻訳し、それが中国に広まったものである。



B親日的だったのが意外!
 「日本に来たいと思ったのは、昔、中国と日本の間で戦争があり、今も微妙な関係なので、日本に友達を作って仲良くしたいと思ったからだという理由を聞いて驚いた」
 「中国の人は思っていたより日本人に敵対心みたいなものを持っていなかった。
  中国人のみんなが日本を嫌っているわけではないことを知って安心した」
 「みんなとてもいい人だったので、話をしていてとても楽しかった」
 「人生初の中国人のメルアドをGetしました」
 「めちゃ楽しかった」。



相互理解の必要性
 コミュニケーションには共通の話題が欠かせないが、本校の生徒は中国についていったいどれほどの知識を持っているのか? 中国の初代主席の名前すら知らない生徒が多かったのではないか。また、日本のことをよく知らないために喋ることができず、もどかしい思いをした人もたくさんいたのではないか。岸和田城がいつ頃誰によって造られたのか? 徳川幕府とは? 江戸時代とは? 参勤交代って英語で何という?
 これからの時代は、日本のことを外国人に滔々と説明できる知識と表現力が必要である。語学力だけではなく、そうした教養もしっかりとこの3年間に身につけて欲しい。
 
最後に生徒の感想をもう一つ。「中国のことで何か知っていることは?と聞かれたときに、自分では知っているつもりでも全然答えることができなかった。また日本についても満足に話すことができないのに気がついた」。
 

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