滑舌

2008年1月31日

 

 夫婦がケンカした。とーちゃんがかーちゃんに「バカモノ」というつもりが、「バケモノ」と 言ってしまったために、余計にケンカがひどくなった、という笑い話がある。話があまりにうまくできているから、きっと作り話に違いない。

 「バケモノ」ではないが、実は、私もこれと同じような失敗をしたことがある。教員になりたての頃、クラスに「草竹君」という男子生徒がいた。あるとき、「クサタケ君」と呼んだつもりが、「サ」が「ソ」に近い発音になってしまったらしい。生徒は一斉に笑って、「クソタケ」「クソタケ」とはやし立て始めた。

 さあ、困った。「すまん、すまん」と平謝りに謝って、その場をしのいだ。幸い、非常に気のいい生徒であり、大事にいたらずにすんだが、万が一、彼に「クソタケ」というあだ名でも付けられたら、万が一、それを苦に電車にでも飛びこまれたら・・・・などと想像すると、いまだに冷や汗が出る。

 教員はしゃべるのが商売である。しかし、それにもかかわらず、きちんとした発音教育 を受けることは皆無である。教員の中には小さい声で、しかも口をきちんと開けてしゃべらないため、何を言っているか聞き取れないという「先生」もいる。もし、これが教員ではなく落語家だったらどうだろう。 そんな噺家なんて、淘汰されて追放されるのがオチである。

 私は高校時代に放送部に入っていて、
  「アエイウエオアオ」
  「カケキクケコカコ」
  「サセシスセソサソ」

 と手鏡を見ながら一生懸命、発音の基礎練習をした。だから、多少は発音について気を遣っているつもりである。それでも上記のような失敗をする。

 最近、歯並びが悪くなったせいか、 滑舌が少し悪くなったと感じる。だから、意識的に口を大きく開けてしゃべるようにしている。そうすると、たまに唾が飛んだりする(一番前に座っている生徒さん、ごめんなさい)。
 教員はべつにアナウンサーのようにしゃべる必要はない。独特の「個性」があってもよい。しかし、滑舌が悪くて聞き取りにくいのは、個性とは別物である。

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