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考える葦 2007年07月02日
授業では考えるゆとりを与える間もなく、膨大な知識を教え込む。生徒はそれを覚えるのに必至になって、考えるいとまもない。 まるで、知識の大海の中でおぼれるが如しである。入試制度がそうした教育を求めているのだから、 教育現場だけを責めても仕方がない。 問題は、長年こうした教育を受けていると、やがて考えることが億劫になり、考えるという最も人間らしい行為自体を忌み嫌うようにな
ることだ。その結果、授業中に生徒に質問しても、「分かりません」のオンパレードとなる。本当に分からないのか、それとも考えるのが面倒だからとりあえず「分かりません」と答えて
おいて、あとはひたすら嵐が過ぎ去るのを待っているのか。 無から有は生じない。自分で考えるためには知識という素材が必要である。
しかし、覚えることは学習活動の必要条件ではあっても十分条件ではない。生徒も教師もいつの間にかこの本質を忘れてはいないだろうか。
たとえ忘れていなくても、実践していなければ忘れているのと同じである。 |