必修科目を履修したとは言うけれど

2006年12月5日

 

 師走に入った。今年1年間を振り返ると、高校の必修科目の履修漏れが大きな話題になった。世界史、情報、家庭・・・。 多くの学校で是正措置がとられ、問題は一件落着したかに見える。しかし、はたしてそうか? 法的には問題はなくても、別の解決すべき問題が日本全土を覆っているように思う。 

 一般的に、世界史の履修は多くの進学校では1年生(または2年生)と3年生の分割履修となっている。すなわち、1年生(または2年生)で2単位を必修とし、3年生で受験に必要な生徒だけを対象に4単位を選択させ、合計6時間で大学入試に臨む。学習指導要領上、問題は何もない。

 しかし、問題はそのやり方だ。2年生で教科書の最初の部分だけをやり、3年生で近現代史をやる進学校が多いのではないか。もしそうであれば、3年生で世界史を選択しなかった生徒は、近現代史を全く学ばないまま卒業することになる。その結果、北京原人は知っていても、毛沢東を知らないという生徒が作り出されてしまう。3年生で世界史を選択する生徒が1割〜2割という現実を考える時、この問題は放ってはおけない。

 実は、こうしたことは今に始まったことではない。昔はもっとひどかったらしい。倫理の授業で1年間ソクラテスだけしかやらなかったり、日本史の授業でいつも明治維新後は時間切れで全くやらない先生など、その手の話には事欠かない。極端な話、弥生時代は小・中・高と3回聞くのに、20世紀の話は1回も聞いたことがない生徒が出てくる。ウソかマコトか、こんな話がある。

  「60年ほど前、日本とアメリカが戦争したって話、知っている?」
  「ゲッ、ウッソー、マジカヨー」

 形式上、学習指導要領の要求する時間数は満たしていても、学習指導要領の求める中身・精神を満たしていない授業がいっぱいある。高校教育を通じてどういう人間づくりをしようとしているのか。もっと議論する必要がある。


 

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