オレがやらねば…

 2000年、9月9日

 

 ある会社のスローガンを書いた看板に
   『オレがやらねば誰かやる』
 とあったそうだ。もちろん、『オレがやらねば誰
やる』の濁点が薄くなって読めなくなったものであろう。そんな会社,大丈夫かいなと思う半面,この新スローガンにはいろいろ考えさせられる。オレがやらねば、本当に誰かがやってくれるのであろうか。

 私が結婚をする時,妻は言った。「私は掃除が嫌いよ。」
私はその時うかつにも、「それでもいいよ」と言ってしまい結婚した。
もう、20年以上も前の話である。

 しかし、それが間違いのもとだった。男と女なんて結婚しないとわからない部分が圧倒的に多い。まさかこれほどまでに掃除がキライだとはつゆ思わなかった。廊下に綿ボコリがたまっていようと,階段に糸屑が落ちていようと、彼女は「そんなモンで,人間死にゃせん」と言って全く気にしない。
 もちろん,私だって掃除は嫌いである。しかし、誰かがやらねば,日曜日の朝の「チンダル現象」を見てゾッとする羽目になる。かくて,知らず知らずのうちに掃除は私の役割と相成った。

 我が家では,妻も仕事を持っている。だから、ある程度の家事の分担は当然と,頭ではわかっている。しかし、掃除に始まった役割分担は次第に拡大し,風呂掃除,ゴミ出し、洗濯,犬散歩、夕食の後片付けと、どんどんエスカレートしてくる。

 もし,女性のスカートを1センチ短くすることを認めたら,世の中の女性はみんなヌードで町の中を歩くことになるかもしれないから、1センチたりとも短くすることを認めてはならないという説があるが,まさにそれに近い。

 そして、20年以上も夫婦をやっていると,ブツブツ言いながらも、いつのまにか手際良くこなせるようにしつけられてしまった。 (ただし、それでもなお家事全体の量は妻のやっている量のほうが多いかも知れないのだが・・・)。

 習慣とは恐ろしい。「オレがやらねば誰も掃除をやってくれない」ことがわかると,せっせ、せっせと、要らないものを捨てる癖がついてしまった。
 「モノ」には要るか要らないか二つしかない。とにかく、その場ですぐ要るか要らないかを判断する。そして迷ったら捨てる。そうしないと、広くもない我が家はすぐ足の踏み場もなくなるからだ。とくに古新聞はすぐたまるので要注意である。

 あるとき、妻が私に聞いた。
「ここにおいてあった、3万円知らない? 講演の謝礼なんだけど」
と、見れば古新聞のためてある所を指差している。

「ギョエッ!・・・・・」                           

                                 

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