コミュニケーション能力 2003年6月7日
人が人とスムースにコミュニケーションできるための条件とは何か。 第一に 、コミュニケーションで一番大切な「話すべき内容」をしっかり身につけているということである。イギリスに留学していた大阪外大のある優秀な学生が、「語学力にはあまり困らなかったけど、話すべき自分の意見を持っていなかったのでコミュニケーションができなくて困った」と語ってくれたことがあった。 もちろん、日本語でコミュニケーションをする場合も同じことが言える。話が途切れた時には、相手の趣味に話題を持っていくと、コミュニケーションに困らない、というテクニックは何かの時に役に立つかも知れない。 第二に、自分の考えを表現する力が必要である。とくに相手が外国人の場合は英語力(とりわけリスニングの力)は重要である。修学旅行の付き添いをしていた英語の先生が、向こうから外国人が来たのを見て、慌てて別の道に逃げ込み、英会話が得意ではないことを生徒にバレないようにしたという笑い話があるが、もちろんこれは作り話であろう。 第三に、「人間はみな同じだ」という意識で接することである。別に語学なんか出来なくてもいい。私のいとこがよく留学生を自宅に招待しているが、その際、いとこの母親は英語が全く出来ないにもかかわらず、ちゃんとコミュニケーションしているという。要は、変なコンプレックスを持たないことが大切なのである。 ところが、今の日本の英語教育は、生徒を誉めるのではなく、けなし続けて教育をしている結果、英語に対するコンプレックス、外国人(=白人)に対するコンプレックスを強烈に植えつけてしまっている。それがコミュニケーションを妨げる大きな原因になっている。 英語が出来ないのがそんなにいけないことなのか。もし英語が出来ないことがそんなに悪いことなら、外国人が日本語を出来ないことも同罪というべきだろう。今の日本における英語教育の最大の欠陥は、コンプレックス人間を量産していることにある。
先日、ロンドンで公認会計士をしておられる田名部雅文氏からメールを頂いた。氏はロンドンの日本企業を対象に税務会計のアドバイザーワークをなさっている。頂いたメールの中で、コミュニケーションの難しさについて、大変面白い話が載っていたので紹介する。 「仕事をする上で “一番大変なこと”は、やはりコミュニケーションの問題だと思います。私の英語力と言う問題もありますが、それ以上に文化と言うべきものの違いによる難しさがあります。改めていうまでもありませんが一つ一つの言葉はそれぞれの具体的な客体(あるいは経験)と結びついているためにそれを理解しないことには本当の意味でのコミュニケーションができないと思います。 以前こんなことがありました。ある契約書の内容に不適切な内容があったのでその契約書を“replace”すべきであると言うアドバイスがあり、これを“差し替え”と訳しました。日本のクライアントの方はこの契約書を“破って”あたらしいものと“差し替え”ました。本社との契約書であり、いわば内輪の問題であるから新しく作り直り直したほうがベターと判断された結果です。 これによって英国人は日本人に対して非常に不信感を持つにいたりました。一度交わした契約というのはすでに厳然とした事実であり破り捨てて消えるものではない。“replace“というのは新しい契約書を作って契約内容を当初にさかのぼって変更することであって決して破り捨ててあたかも最初からそれが無かったかのように捏造することではないということでした。 日本人と英国人の物事に対する考え方や言葉の背景・歴史を十分に理解しないと本当のコミュニケーションなんかできません。言葉は文化そのものであり文化はその世界で空気のように吸収し身についてくることであって教科書で習って身につくものではありません。 国際ビジネスの場で(政治の場でもそうかもしれませんが)色々な摩擦や誤解が生じるのは必然です。このような中で何とか両者の顔を立てながら最終目標に上手にリードしていくこと、これがやはり一番大変なことでしょうか。」
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