ブラックボックス化

2007年04月25日
 

 最近の天気予報を見ていて思うことがある。以前は必ず天気図を使って説明してくれたが、最近は天気図を示さず、晴れマークか曇りか、傘マークだけを報道することが多い。特にテレビの場合そうした報道が多いように思う。なにも「雨の降る確率」なんて報道してくれなくても、もとになる天気図を見ればだいたいの見当はつく。しかし、肝心の天気図を伝えてくれないないので、非常に判断しづらい。

 途中の過程を省略して結果だけを伝えるということは、実は天気予報に限らない。最近はなんでも途中の経過を省略し、結果だけを知らせる傾向がある。つまり、中身のブラックボックス化が進行しているのだ。

 インプットをすれば、理由は分からなくても、自動的にアウトプットが出てくる。すべてにこの傾向が行き渡ると、やがて途中の経過を聞くのが面倒になり、結論だけを求めるようになる。最近の生徒がすぐ答えをほしがる現象を見ていると、どうも社会のそうしたブラックボックス化が、勉強の世界にも浸透してきているのではないかと感じてしまう。

 本来、数学や理科、社会などの勉強では、結論などはどうでもよい。結論を得るための考え方が一番重要である。たとえば、今、1年生に現代社会を教えているが、中学校までに憲法について学んできてはいてもなぜ憲法が生まれてきたかという、根本についての理解は全く皆無といってよい。だから、憲法は国民が守らなければならないなどと言う、とんでもない憲法観が頭にこびりついてしまっている。
 

冗談ではない。歴史的には権力の濫用を抑えるために憲法が生まれたのであり、憲法の名宛人は国家権力である。つまり、憲法を守るべきは国家権力なのである。ところが、この一番重要なことが全く理解されていない。
                
 なぜか? どうしてそうなるのか? という問いに、もう少し関心を持つべきなのではなかろうか。

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