教育における左右のバランス

 2000年5月3日

 

 ソ連が崩壊した後、日本では急速に右翼知識人といわれる人たちが発言力を高めつつある。渡部昇一、小室直樹、日下公人、藤岡信勝の各氏、および作家の司馬遼太郎、政治家の石原慎太郎氏などである。本屋に行けばこれらの人たちが書いた本がかなりのスペースをとって置かれている。という事は、それだけよく売れていると言う事なのであろう。
 確かに、これらの人たちの指摘には傾聴に値することは多い。私もずいぶんたくさん読んだ。その一部は授業でも取り入れている。

 しかし、日本人の特性として、振り子がちょうどいいところで止まらないで行きすぎてしまうという現象がよく見られる。江戸時代の鎖国政策に対して、明治以降はヨーロッパべっとりまさに「排」から「拝」への急転換!
 戦前に、鬼畜米英を唱えていたかと思えば、戦後は一転してアメリカべっとり。同様に、戦後、学問・ 思想の自由が保障されると、大学の経済学部はマルクス主義ばっかり。

 そして、ソ連が崩壊すると、今度は『自由主義』の大合唱。今の、右翼知識人と言われる人たちの発言も、戦後の行きすぎた欧米化に対する反動といえよう。日本という国は、よほど「中庸」ということが嫌いらしい。

 私は、慶応大学の鈴木孝夫先生の講義を聞いていて、すごく感激したことがある。先生は
  
  『私は世の中の人が右といえば左を向き、左といえば右を向く。それくらいの発言をしていて世論はちょうどいい方向に流れる。教育には常にバランスが大切である。』

と言われた。20年以上も前に聞いた講義内容だが、妙に印象に残っており、その言葉を今も大切にしている。左翼思想の強かった1970年代、私はマルクス主義を批判し、近代経済学に進んだ。しかし、今日、ここまでマルクスの人気が低下すると、逆にマルクスを擁護したくなる。

 同時に、右翼知識人と言われる人たちの発言に、強い警戒感も覚える。また、行きすぎなければいいのだが…という思いが脳裏をかすめる。
                                              
 

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