50年前の日本

 2007年02月11日


 今から50年前というと、1957年。ちょうど日本が高度経済成長を始めた頃だ。私はまだ6歳だった。ほとんど何も覚えていない。ただはっきり覚えているのは、家には電気製品と呼べるものがほとんどなかったことだ。

 テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかった。ご飯はへっついさんと呼ばれるカマドでお袋が朝早くおきて炊いた。風呂は薪で沸かした。ガスもなく、燃料は近くの製材所から材木の切れ端を買ってきて、それを斧で割って使った。扇風機も掃除機もない。ウチワで涼をとり、ほうきで掃除をし、夜は窓を開けて蚊帳をつって寝た。肉製品などほとんど口にしたことがな かった。

 私が中学生になる(1962年)頃から日本は少しずつ変わり始めた。高度経済成長が始まったのだ。 家にまだ冷蔵庫がなかったときに、兄が冷蔵庫で冷やしたスイカが、歯にしみるくらい冷たくておいしいと言っていたのを覚えている。テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされ、少しずつ普及し始めた。1960年代後半には、カラーテレビ 、車、クーラー(いわゆる新三種の神器)持つ家も増え始めた。それからの変化はあっという間だった。

 今の高校1年生が生まれたのは湾岸戦争が起きた1991年だ。貧乏な時代はおろか、石油ショックすら知らない。生まれたときから、「お祭りのようなごちそう」や 車、エアコンがある毎日を当たり前だと思って育った世代である。

 ひもじい思いなどしたこともなく、女の子などはいかにたくさん食べてやせるかが最大の関心事だ。豊かなことはいいことには違いない。でも、豊かであることを当然と思って育った高校生は、豊かさのありがたみがどこまで分かっているのか。

 聖書に「貧しいものは幸いである」とあるが、われわれの世代は貧乏を経験しているから、豊かさのありがたみがしみじみ実感できる。その意味では貧乏な時代を体験できてよかったのかも知れない。もちろん、もう2度とあの時代に戻りたいとは思わないが(笑)。
 

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