4、長旅
日本からイスラエルまで、直線距離にすれば1万キロメートルほどである。飛行機の速さを時速800キロとしても12時間もあれば到着する。
ところがどうしたことか。家族4人連れで出掛けるので、旅行代金の安い旅行社を選んだせいか、成田を出発した飛行機は反対方向にむかって飛ぶこと11時間。最初に着いたのがアメリカのシカゴ。ここで乗り継ぎのために5時間待ち、さらにシカゴからアムステルダムまで約7時間。ここでまたまた乗り継いでさらに5時間のフライトでようやくイスラエルのベングリオン空港に到着。
成田を出発してからなんと33時間30分が経過していた。テルアビブのホテルで一風呂浴びたときは、さすがにほっとした。たぶん、旅行社が売れ残りの航空券を掻き集めたためにこういう行程になったのだろうと、あとで思った。
そもそも、出発からして運が悪かった。
大阪ー羽田の飛行機が予定より遅れて到着。しかも羽田ー成田間の適当なリムジンバスがなく、リムジンを待っていたのでは、集合時間に間に合いそうにない。それで仕方なくタクシーに乗る。成田まで約70キロメートル、2万3千円。痛かった!
(←イスラエル航空のスチュワーデス、初めて見るユダヤ人) この飛行機の旅で思ったことが二つある。
一つは飛行機会社によってサービスがずいぶん違うこと。最初に乗ったノースウェスト航空は食事もサービスも悪かった(ワースウェスト?だという説もある)。これに比べてKLM(オランダ航空)は機内食もおいしく、なかなか良かった。
もう一つは、アムステルダムからイスラエルに向かうイスラエル航空機に乗り込むときの搭乗手続きが、異常に厳重だったこと。別室に連れていかれ、手荷物やスーツケースに爆発物が入っていないか厳重な検査を受けた。これもテロにあわないように、皆さんの安全を守るためだという。また、搭乗口では長い銃を持った人が2人見張りをしており、これから行くのはその辺の観光地とはわけが違う「紛争地帯」であることを改めて思い知らされ、一瞬、緊張感が走った。
何かあれば一家みんな一緒だから、その時はその時のこと、という思いもあった。
(写真)銃を持つ警備員
5、ローマ時代の遺構
カイザイリアの円形劇場
(円形劇場写真)
カイザリアは当時の有力な港町で、政治の中心地でもあった。カイザリアという地名は、ローマ皇帝(=カイザル)の名にちなんでつけられたものである。前37年、ローマ帝国によってヘロデがユダヤの王に任命された。彼は熱狂的なギリシア・ローマ文化の崇拝者であったため、多くのローマふうの建築物を残した。カイザリアの円形劇場もその一つである。海からの風の流れを利用して、よく声が通るように設計されている。今も公演に利用されるという。3000人くらいは収容できそう。ヘロデ大王は権力的政治を行なったためユダヤ人からは嫌悪され、晩年は恐怖政治を行なった。
(導水橋)
(十字軍時代の町のあと)
マサダ要塞

AD70年、ローマによってエルサレムが陥落した。生き延びた男女967名がマサダ要塞にたてこもり、ローマの攻撃に3年間持ちこたえた。いまはロープウェイで数分で登れる。高さ400メートル。マサダは「自分の国」で「自由に」生きようとするユダヤ人のシンボルとなっている。

マサダ要塞の頂上ににひらめくイスラエル国旗。イスラエルは国民皆兵制をとるが、徴兵された人々の結団式が、毎年ここマサダで行われる。イスラエルに来ると、いやでも「国家とは何か」ということを考えさせられる。遠方に見えるのは死海。
6、イエス・キリストの足跡(エルサレムを除く)
受胎告知教会。
イエスが布教活動に入る前の30年間を過ごしたナザレという町にある。ここで、聖母マリアが天使ガブリエルにより受胎告知を受けた。
ヨルダン川での洗礼。
イエスが活躍したのは30歳頃から1年半の短
い期間である。30歳頃、ここヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、やがて伝道を始めた。現在もここには多くの巡礼者がやってくる。
ベツレヘムの「キリスト生誕教会」
もとは馬小屋のあったところ。「14角の星」(右写真)がイエスの生まれた場所を示している。生誕教会(左写真)は4世紀に建てられ、6世紀のユスティニアヌスにより改築されたものがほぼそのまま残っている。

山上の垂訓教会。

イエスはこの小高い丘に登り「こころの貧しい人は幸いである」などの8つの幸いを説いた(マタイ伝)。1930年、この山上に教会が建てられた。
誘惑の山。
正面に見えるいちばん高い山が「誘惑の山」。イエスが40日間の断食のあと、悪魔がきて、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」といわれて、イエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口からでる一つ一つの言で生きるものである。」と答えた。
2匹の魚と5つのパンで5000人を満腹させたという奇跡ゆかりの教会にあるモザイク

7、ガリラヤ湖
ゴラン高原は聖書に約束された土地ではない。しかし、イスラエルの水瓶であるガリラヤ湖を見下ろす高台にあり、軍事的には重要である。ゴラン高原に戦車を並べるとガリラヤ湖の安全が脅かされる。
(写真左、ガリラヤ湖の遠方にゴラン高原を望む)
ガリラヤ湖から引かれた水は、巨大な導管を使ってイスラエル全土(とくに南部の乾燥地帯)に送られている。もともとイスラエルの土地は石ころばかりの土地である。この辺の農業はほとんどがキブツによって経営されているが、キブツに入って最初の3年間は石拾いばかりだったという話もある。彼らの多くは労働党支持者である。
ヨルダン川。

ガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川は、有名なわりには意外と小さな川である。川幅が5〜20メートル、全長120キロメートル。死海に注いでいる。
ヨルダン川西岸地区の検問

ヨルダン川西岸地区に入る手前に検問があり、ものものしさを感じた(左)。有刺鉄線の向こうがヨルダン、手前がイスラエル。時々パトロールの車を見かけた(右)。
8、エリコの町と死海
周りが砂漠のような不毛の土地ばかりの中から、突然オアシスのような町があらわれる。エリコは湧水が出たため、BC8000年頃の遺蹟も発見されている。出エジプトをはたしたモーセを引き継いだヨシュアが、最初に攻め入った町でもある。 
(エリコ)
(写真撮影に気軽に応じてくれたパレスチナの人)
クムラン。

前1〜前2世紀、ここにはエッセネ派の人々が住んでいた。クムランの洞窟はその居住跡である。洞窟の中から貴重な写本(死海文書)が発見された。
死海にて。

誰もいない早朝、死海に浮いてみた。冬だというのに水は意外と温かく、少しぬるぬるしている。なるほど、これなら新聞を読めなくもない。しかし、こんな所で新聞を読むなんて、「やらせ」以外のなにものでもない。5分も入っていると、肛門がヒリヒリしてきた。海水を舐めると飛び上がるくらい辛かった。
ベドウィン。
イスラエル国内には約11万人のベドウィン族がいる。イスラエル政府は定住を望むが、彼らの40%は今も昔ながらの遊牧生活を送る。
|