兵庫県南部地震前の西宮市における地下水中ラドン濃度変動

兵庫県西宮市において、1994年10月末から地下水中ラドン濃度の異常な増加が観測された(図1)。 ラドン濃度は1995年に入っても増加し続け、1月8日に平常値の10倍以上という最高値に達した。 約3日間高いレベルを保った後ラドン濃度は急速に減少し、1月16日の夕方までにほぼ平常値に 戻り、再び増加し始めたところで兵庫県南部地震が発生した。観測井が位置する地点は兵庫県 南部地震により震度7の激震にみまわれており(図2)、この激しい揺れで測定装置の1部が破損したため、 地震直後のデータを取ることはできなかった。測定装置を修理して観測を再開したのは地震発生 5日後の1月22日夕方であるが、この時は既にラドン濃度は平常値に戻っていた。

図1 兵庫県南部地震前後の西宮市の地下水中ラドン濃度変化

図2 深度7の激震に見舞われた,震災の帯



ラドン(222Rn)はウラン(228U)の壊変系列に属する半減期3.8日の放射性元素で、 ラジウム(226Ra)を経て地殻中で絶えず生成されている(図3)。またラドンは水に溶けやすい 希ガス元素であるため、岩石表面から地下水中に溶けだし、地下水の流れに乗って地殻中を移動 する。一般に、地下水中のラドン濃度は帯水層を構成する岩石中のウラン濃度に比例して高く なる。しかし地下水中に溶出するラドンは、岩石中で生成されたラドンのうち地下水に接触して いる岩石のごく表面で生成されたものに限られる。したがって、岩石の平均粒径が小さく、また 微小な亀裂が多数存在するなどして、地下水と岩石が接触している面積が大きくなるほど、 地下水中のラドン濃度は高くなる。このように地下水中のラドン濃度は地殻を構成する岩石の 化学組成だけでなく、構造の違いを反映して変化することが期待できる。

図3 ラドンの放射壊変



地震前兆現象としての地下水中ラドン濃度変化を世界的に有名にしたのは1966年のタシケント 地震である。深層地下水中のラドン濃度がM5.5の地震に先行して数年間上昇し続け、地震の 直前に平常値の約3倍の最高値に達し、地震後はもとの濃度に戻ったことが報告されている。 また、中国では1975年と1976年に発生したM7〜8クラスの5つの地震のうち4つについて 予知に成功しているが、予知に成功した地震のすべてに共通して、地下水中ラドン濃度の前兆 変化が観測されている。

日本で本格的に地震予知を目的とした地下水中ラドン濃度の研究が始められたのは1973年で ある。東京大学理学部が中心となってラドン濃度の連続測定装置の開発が行われ、長期自動連続 観測が可能となった。1978年1月14日の伊豆大島近海地震(M7.0)をはじめ、いくつかの 地震について地下水中ラドン濃度の前兆変化が観測されている。

このように、地震発生に至るまでに地殻で進行する変化に関する重要な情報を、地下水中の ラドン濃度が提供してくれることを示す例は増えてきている。しかしながら地震の前に現れる ラドン濃度変化のパターンは様々で、それらを統一的に説明することは今のところ困難である。 地震に関連した変化だけでなく、地下水中のラドン濃度は気温、気圧、降水量などの気象条件や 揚水などの人為的影響、地球潮汐による地殻ひずみの変化などにより常に変動している。この 平常時の変動パターンも井戸によって様々であり、帯水層の構造や地下水の流れの複雑さが 地下水中ラドン濃度の変動に強く影響していることがわかる。

地震予知のための既存の地下水中ラドン濃度の連続観測点は、互いに数キロメートル以上 離れた異なる帯水層、地質学的環境に位置しており、相互の変動パターンは全く異なっている。 ラドン濃度の複雑な変動メカニズムを解明するためには、狭い範囲内で多点同時連続観測を行い、 相互のラドン濃度変動がどのように関係しているかを調べることが重要である。兵庫県西宮市の 南部地域は、酒造りに適した「宮水」と呼ばれる良質の地下水が豊富であることで知られており、 宮水保存の目的で、数キロメートル四方の狭い範囲内に100を越える井戸が掘削され、40年 以上にわたって水質や水位の定期観測が続けられている。このような地域は地下水中ラドン濃度の 多点同時連続観測に最適であると考え、1994年10月より4台の連続測定装置を設置した。

「宮水」帯水層は深度3〜6mと浅く、主に六甲山麓から河川の氾濫などで供給された花崗岩 質の砂礫で構成されている不圧帯水層である(図4)。この地域には深度15〜20mのところに透水係数の 高い被圧帯水層があり、伊丹礫層と呼ばれる玉石混じりの砂礫からなっている。伊丹礫層は 宮水帯水層より厚く、水量も豊富であるが、地下水中の鉄の含有量が高いため酒造りには 適さない。西宮市南部地域に掘られている井戸のほとんどは、浅い宮水帯水層の地下水を 調べるためのもので、伊丹礫層まで掘られているものはごくわずかである。阪神西宮駅の南西 約200mに位置する地点で、1994年10月21日に、互いに2〜6m離れて南北に並ぶ深度4mの 3つの浅井戸で、宮水帯水層のラドン濃度の連続観測を開始した。さらに、1994年10月27日に、 3つの浅井戸の中間に位置する深度17mの深井戸で、伊丹礫層のラドン濃度連続観測を開始した。

図4 西宮市南部の地層と帯水層分布



地下水中ラドン濃度連続測定装置は、岐阜大学教育学部が1990年に開発に成功した、ラドンの 壊変によって放出されるα線を半導体検出器で計測するものである(図5)。この装置は岐阜県の 「カミオカンデ」のニュートリノ観測における地下水中のバックグラウンド放射線をモニター する目的で開発されたもので、カミオカンデ内に24台の検出器が設置されている。 カミオカンデにおいて周辺の地震活動に関連すると思われるラドン濃度変化がいくつか観測 されていることから、地震予知の目的にも適した測定装置であると考え、新たに4台の 測定装置を製作して西宮市南部地域に設置した。

図5 半導体検出器を用いたラドン濃度連続測定用静電補集容器



測定方法は、地下水をポンプで汲み上げ、毎分約1リットルの割合で検出器に導入し、ラドンの 崩壊で放出されるα線を連続的に計測するというものである。計測はZ80マイコンシステムで 高速AD変換器を制御することによって行うが、1台の制御システムで最大8台のラドン検出器を 制御することができる。計測データは1時間に1回、RS232Cインターフェイスで接続された パソコンに転送、フロッピーディスクに保存される。2、3週間に1度、観測点からフロッピー ディスクを広島大学理学部に持ち帰り、ワークステーションにデータを移して解析処理を行うと いう方法をとっていた。

1994年10月27日の観測開始以来、深井戸のラドン濃度は増加し続けた。一方浅井戸のラドン 濃度は、数日単位の不規則な変動はあるものの長期的な増加傾向はみられず、全体としては ほぼ一定のラドン濃度を保っていた。1994年10月末の時点で浅井戸の約3分の1だった深井戸の ラドン濃度は、12月始めには浅井戸と同じレベルまで増加していた。これは1993年の同時期に 深井戸で行った予備的な観測と比較しても3倍以上のラドン濃度であり、単なる年周変化とは 考えられない。しかしこの時点では、1994年夏の異常な渇水の影響等、地震に関連した変化 以外の何らかの原因でラドン濃度が増加したという可能性を完全に否定することはできないと 思われた。

1994年12月中旬から兵庫県南部地震発生までのデータを回収して解析処理を行ったのは、地震 発生後の1995年1月20日である。地震で装置の1部が破損したため地震直後のデータを取る ことはできなかったが、地震直前の1月17日午前5時までのデータはフロッピーディスクに 保存されていた。深井戸のラドン濃度は1995年に入っても増加し続け、1月8日に平常値の 10倍以上という最高値に達していた。約3日間高いレベルを保った後ラドン濃度は急速に 減少し、1月16日の夕方までにほぼ平常値に戻り、再び増加し始めたところで兵庫県南部地震が 発生した。測定装置を修理して観測を再開したのは地震発生5日後の1月22日夕方であるが、 この時は既にラドン濃度は平常値に戻っていた。

なおこれらの3つの浅井戸のうちのひとつと深井戸において、1993年11月末から12月にかけて、 それぞれ約1週間の予備的なラドン濃度観測を行っている。浅井戸のラドン濃度は40Bq/l〜100 Bq/lの間で不規則に変動しており、宮水帯水層の構造や化学組成が不均質であることが推測 された。一方深井戸のラドン濃度は20Bq/lで非常に安定していたが、よくみると半日と1日 周期の振幅約1Bq/lの周期変動があることがわかった(図6)。これは地球潮汐と海洋潮汐による微小な 地殻ひずみに応答していることを示しており、深井戸(伊丹礫層)のラドン濃度は地殻ひずみに 敏感であると考えられる。

図6 ラドン濃度の潮汐応答



地球潮汐や海洋潮汐によって地殻に生じるひずみは、体積変化にして10-8程度である ことがわかっている。平常時の深井戸のラドン濃度には、振幅約1Bq/lの潮汐に応答する変動が みられている。兵庫県南部地震前のラドン濃度増加の大きさは100Bq/l以上であり、10-6 程度の地殻ひずみ変化に対応すると考えられる。地殻にひずみが蓄積され、帯水層を構成する 岩石に微小な亀裂が発生すると、岩石表面から地下水へのラドンの供給が増えるため、地下水 中のラドン濃度は増加する。1994年10月末から兵庫県南部地震発生までに西宮市南部で観測 された地下水中ラドン濃度の異常な増加は、この付近の地殻に10-6程度のひずみ変化が生じ、 地殻の岩石中に微小な亀裂の発生が進行していたことを示しているのかもしれない。

観測井周辺の詳細な地層調査によって、観測井の西約500mの地点に伏在断層が確認されて いる。断層は地下7〜8m以深に存在しており、深度3〜6mの宮水帯水層はこの断層に関係なく 分布しているが、深度15〜20mの伊丹礫層はこの断層で断ち切られている。兵庫県南部地震で この伏在断層が動いたかどうかは不明であるが、地震の前にこの伏在断層にも大きな力が 加わっていた可能性は高い。観測井が伏在断層の至近距離にあったということも、地震の前に 大きなラドン濃度の増加が観測された理由のひとつであろう。今後は地層調査も含め、活断層 周辺における総合的な地下水観測を行い、地殻内で進行する変化をモニタリングすることが 望まれる。

参考文献

  1. G. Igarashi, T. Saeki, N. Takahata, Y. Sano, K. Sumikawa, S. Tasaka, Y. Sasaki, M. Takahashi, Groundwater radon anomaly before the Kobe earthquake, Science, 269, 60-61, 1995.

  2. G. Igarashi, T. Saeki, Y. Sano, K. Sumikawa, S. Tasaka, Y. Sasaki, Continuous monitoring of groundwater radon for evaluating chemical and structural properties and fluid flow variations of shallow aquifer systems, J. Sci. Hiroshima Univ. Ser. C, 10, 349-356, 1995.

  3. G. Igarashi and H. Wakita, Geochemical and hydrological observations for earthquake prediction in Japan, J. Phys. Earth, 43, 585-598, 1995.

  4. 佐伯雄司, 五十嵐丈二, 佐野有司, 高畑直人, 済川要, 田坂茂樹, 佐々木嘉三, 高橋誠, 1995年兵庫県南部地震前の西宮における地下水中ラドン濃度の変動, 地球, 号外13, 194-198, 1995.

  5. 五十嵐丈二, 地震に関連した地下水中の水位・ラドン濃度変化のいくつかの特徴と地震予知の可能性, 地球化学, 30, 1-16, 1996.