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最近読んだ「エスペラント図書」のリスト


読書記録 (48)
Kiun libron mi legis lastatempe? 

Ĝis revido krokodilido  (Sten Johansson)


(21.0 x 14.7 x 0.4 cm: pp 69: 1996 年刊行)

Unuvorte
*ステンさんの第二短編集、14作品。


読書メモ
*目次が1部、2部に分けてあり、その点を簡潔に紹介している裏表紙の広告文を以下に訳した。

*「これはステンさんの第二短編小説集である。第一部は、一般的な事柄をテーマにした8作品で、ユーモアたっぷりなもの、考えさせるもの、風刺的なもの、恋愛もの、自分自身に関するもの、思い出、希望、失敗がテーマである」

*「第二部には、エスペラント国に関する7作品がある。たいていは、エスペラントそのもの、エスペラント文学、エスペラント運動、緑のロンドの風潮などに対する風刺である。最後の作品で、著者のエスペラント人生の自伝的ラプソディーを読むことができる」

*「14作品のうちの3作品は、UEA の文芸コンクールで賞をとったものである。読者がすでにこのスウェーデン生まれの作家のものを読んだことがるのなら、それらを再認識するとともに、微笑みながらこの短編集を読むことになる。まだ知らない方は、今こそ、その新しい楽しみを知る機会である」

*題名の「クロコディリード(krokodilido)」を、どう訳すかに困った。-ido は、子、若芽などを示す接辞である。この単語の前に、「さようなら」がついていなければ、「ワニの子」で問題ないだろうが...Ido(イード(国際語)と<新選エス和>にある)とくっつけた単語、と考えられないこともない。ひとまず、カタカナでそのまま残すことにした。

* tralegis: 2003.5. 7.


14作品のタイトルとあらすじとコメントを少し
*「母」(patrino) …「毎月一日に、私はお父さんと一緒に売春宿へ行きました」という、ショッキングな文で始まる。お父さんは弁護士で、建物を売春宿に貸しているのである。しかし、タイトルは、「母」である。1900年の頃に時代設定されているので、ステンさんの自伝ではない、と思われる。まあまあ面白い作品。

*「私の恋人」(Mia amata) … ユーモア短編。ちょっとありえないと思えるのは、新聞の一面見出しが、その上に座った主人公のおしりに ..MIA AMOTA.. と反転されて写った、なんて。今どき、そんな悪い(水溶性の)インクを使うはずがない。でも、アイデアはすばらしい。鏡に映しても意味をなすフレーズを考えついて、ステンさんはこの作品を創作!

*「永久にパンクしない自転車」(Biciklo de eterno):1992年の UEA 文芸コンクールで1位…アメリカ帰りのセルマおばさんが残した古い自転車は、どんな悪路を走ってもパンクしない。なんと、この80年ほどの間に一度もパンクしたことがない!夢のタイヤ?…ユーモアたっぷりの語り口は、ステンさんの独壇場。

*「おはよう!」(Bonan matenon!):1996年のコンクールで2位…ご主人のブルーノさんにあてた、奥さまの手紙の形式で書かれた犯罪短編小説。浮気の相手を殺してベッドから運び出し、海に錘をつけて捨ててきたという内容の手紙。…あまり愉快なお話ではないし、この手紙がご主人側に証拠として残ってしまう、という点で完全犯罪とは言えないのでは。2位以上は、望めない?

*「私の庭が大変」(Krizo en mia ĝardeno)…「この前の夏、ある晩のこと、私は誰かがコツコツと窓をたたく音で目を覚ました」…それは、野生のバラなのだが、こんな調子で自分の庭に植えた、マメ、カボチャ、北極木苺、エゾボウフウ、そして土の下に住む野ネズミとの戦いについて大げさな比喩で語る、ステンさんの習作。

*「鍛錬の効用」(La utilo de trejnado)…主人公は、コンピューター・ソフトのセールスマン。体力勝負で競争相手から得意先を奪わなければならない。ジョギング中にケイタイがかかってくる。急用ということで、息を切らして返事をしたばっかりに...。…就職に失敗したり、ミスをしでかし解雇されるというテーマ、これで(読書ノート(48)までで)三つ目。スウェーデンの就職事情や、ステンさんのにがい(?)経験が、これらの背景に重なっているのだろう。オーバーな表現が一杯で楽しめる作品。でも、ちょっと...

*「窓の修理」(Ripari fenestron)…私は、高級住宅街にあるお屋敷で 若い奥様と住んでいるグートゥマンさんに雇われた便利屋 (ĉiofaranto)。…ポルノ風というより、ポルノそのもの。ステンさんの上品(?)な語り口でどうぞ。

*「夜の停車」(Nokta halto):1996年に3位…「静寂が私を起こした。夜を走る寝台車の眠りを誘う騒音が止んでいた。私は起き上がって、通路をのぞいた。誰もいなかった」…という具合に、いい調子で始まる。でも3位というのは、お話に少し無理があるからなのだろう。なかなか幻想的で良いのだが...

ここから、第二部
*「さようなら、クロコディリード/クロコディーロ学入門」(Ĝis revido krokodilido!/ Enkonduko en la krokodilologion)…エスペランティストの会合などで、エスペラントでなく母語で話すことを「ワニ語で話す」という。この「クロコディーロ(ワニ)」の由来に、二つの見解がある。一つは、パリの喫茶店で働くイタリア人給仕が創始者とするパリ学派。もう一つは、チェ・メトードのアンドレオ・チェが、授業で使った緑のワニのぬいぐるみ、とするチェ学派。どちらももっともらしいが、どこまで本当なのだか...

*「カタツムリ/あるいは、エスペラントの言語上の発展についてのシンポジウム/一人芝居」(Heliko - aŭ podia diskuto pri la lingva evoluo de esperanto/ Monologo):1993年の UEA のコンクール、演劇部門で選外佳作(honora mencio)… 文体模写のしゃれた作品である。3人のパネリストから、それぞれの理由で急に出られなくなった、と連絡があり、あわてて会場にやってきたシンポジウムの世話役が、事情を説明する。パネリストとは、Fredriko Hajnco、Petro Katz、Marcel Pomon の3人。3人目の Pomon さんは、明らかに K. Piron さんのパロディーであり、世話人がホテルで仮眠を取っているときに見た夢の、3人の子供が公園の散歩道にさまよいでたカタツムリをめぐって争うシーンでの会話で、Piron さんの文体が真似られる。他の二人も、ネオロギスモが一杯であったり、estas 〜onta などの重たい文体であったりで、誰かのパロディーにちがいないが、浅学の私にはそれぞれ誰に相当するのかは分からない。Pomo ⇒ Piroと、名前からも類推できるのだろうが、私の、今後の宿題である。

*「恋の詩の作り方」(La arto verki ampoemon)…冒頭、本を読んでいる「あなた(kara leganto)」に対しての呼びかけがあって、本題に入る。この相手は、当然、女性が想定されていて、その女性が置かれている状況をいろいろ考えてみたくなる。何より韻が大切だ、とし、古典的な kor' − dolor' に始まって、memor' - amor' - ador' など。キッスがテーマなら vang' - lang' に、sang' も、とだんだんステン流の脱線が始まる...

*「私のノーベル賞」(Mia Nobelpremio)…うぬぼれの強い自分を創作したステンさん。「私の作品が、熱狂的に受け入れられた後だったから、私が、ノーベル賞を受けることになった、という電話がかかってきても驚かなかった」
  しかし、それがスペインの友人の Kamaĉo さんからで、スペイン人は(日本人も…J. Wells による;"Vojaĝo en Esperanto-Lando" より)よく v の発音を、b と間違えるので...

*「ネオロギスモ」(Neologismo)…新語、propiti には、その由来として、フランス語説、英国語説、ロシア語説など、四つの意見がある。しかし、何と、このアカデミー会員の説明によると、自分が書いた原稿中の profiti の印刷ミスであった、と。でも、すでに、この単語は広まってしまって ...と、とてもコワイお話。いくつかのネオロギスモは、はじめ、印刷ミスであった可能性あり?

*「エーシェピングにおけるインテルナーザ・リグノのヒステリー」(Histerio de la Internaza Ligno en Akoping)…国際的な連合(internacia ligo)、歴史(historio)、と、題名の中にもすでにつづりの間違いがある。メチャメチャのエスペラントでおふざけの、集中一番の短い作品。逆に、どれだけ間違いが指摘できるか、挑戦してみるのも面白いか。

*「ヒットラー、毛、ストリンドベリーと私」(Hitler, Maŭ, Strindberg kaj mi)…ステンさんの自伝である。しかし、ここまで彼の作品を読んでくると、果たしてどこまで信用していいのかと思わないでもないが。3人の名前について、もう少し、書いておく。ヒトラーから逃れてスウェーデンの小都市にやってきたエスペランティスト、レヴィさんに両親を含め若者たちがエスペラントを学んだこと。学生時代、「毛語録」を手にエスペラントの機関誌編集にはげんだこと。ストリンドベリィーのエスペラントへの翻訳をブラジルの文通相手、パウロ君に頼まれ、その翻訳が 'FONTO' 誌に載って好評だったことから、エスペラント文学にかかわるようになったこと(だって、文芸コンクールに落選したって、そんなこと誰にも分かりゃしないじゃないか - Ja neniu ekscios, se mi malsukcesos!)。



 

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