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最近読んだ「エスペラント図書」のリスト


読書記録 (42)
Kiun libron mi legis lastatempe? 

La mirinda vojaĝo de Nils Holgersson  (Selma Lagerlof/tr. Sten Johansson)


(21.0 x 13.8 x 3.3 cm: pp 614: 2002 年刊行)

Unuvorte
*エスペランティーオの住人にスウェーデンからミリンダ・リブロの贈りもの。


読書メモ
*エスペラントを勉強していなかったら、この本を読むことはなかっただろう、あるいは、著者のセルマ・ラーゲルレーフさんに心から感謝の気持ちを抱くことはなかっただろう。すてきなお話の数々に、心が洗われる思いを何度もした。エスペラントの勉強を続けていて本当によかった。

*まず、一番素敵なことは、ステンさんのエスペラントがとても読みやすいことだろう。子どもが喜んで耳をかたむけそうな、セルマさんの語り口を、エスペラントでなめらかに追ってゆける。

*二番目に素敵なことは、何十枚ものペン画(あるいは、線刻画、銅板画)の挿絵のどれもが詩情あふれるもので、見あきないばかりでなく、大いに内容の理解にも役立ってくれることである。

*しかし、何よりも素敵なことは、セルマさんの原作がノーベル文学賞を受けて当然の大傑作であることだ。一つ一つの挿話は、どれもこれも印象に残るものばかりだ。「スウェーデン教育教会に頼まれて、スウェーデンの子どもたちに、祖国の自然や地理や風俗などを、たのしい物語のうちに教えることを望んで書いた(講談社版の訳者、山室 静による)」そうだが、このいきさつについても、巻末でステンさんがもっと詳しく述べている。日本でも、道徳とか新しい歴史とかと、変にかまえたりせずに、すなおにこういった読み物を、誰かが書かないものか(書けないか?)と思う。「ニルス」を持つ、スウェーデンがうらやましい。

*ガチョウに乗って空からスェーデンを旅するというなんとも痛快なアイデア。この頃、近所の道端でハトやカラスなど、ちょっと大きな鳥がえさを探しているのを見ると、その近くの物陰に小人が隠れているのではないかと、見まわす変な習慣が出来てしまった。

*小人にされた代わりに、動物の言葉が話せるようになるというアイデアも素晴らしい。そして、当然、ニルスが最後に一回り成長して両親と抱き合うことができると同時に、それまで友だちだったガチョウたちと話が出来なくなってしまうという終わり方も、成長する時の代償として何かを失わうことになる、という少し悲しくて、切ない思いを読者に抱かせ、見事である。

*この本は、環境保護、エコロジーといった観点からも、参考になる。ガチョウたちが安心して夜の眠りにつける干拓地がだんだん少なくなっている、ともうこの頃に、すでに、セルマさんが書いている。

*木や花の名前、鳥やけものの名前、魚の名前など、固有名詞をそれぞれ覚えるまで、辞書で何度もひかなくてはならないが、記憶力を試されているようでそれもまた楽しい。イタチ、ムクドリ、ハシバミ、など。時には、私が聞いたことも、見たこともない名前が辞書に書かれていたりするが、例の素敵な挿絵が助けてくれることもある。巻末の、Glosaro でも、ステンさんが助けてくれる。

*都会に住んでいては、子どもたちのためにスウェーデンのお話を書くという仕事は出来ない、故郷の村へ帰れば何とかなりそうだと考える、作中の女性の話は、まさに、セルマさん自身のことだ。しかも、昔、父と一緒に住んでいた家に戻ってきて、月明かりに照らされた散歩道で、彼女はニルスと会って数々の話を聞き、仕事に着手するアイデアを得て安心する!、ということになっている。

*数々の伝説や地名の由来などがつづられるが、そのバラバラになりかねないテーマをつないでゆくのが、ガチョウたちのリーダーのアッカおばさん(ケブネカイセのアッカ…いい名前だ!)であり、狂言回しに、悪役のスミッレギツネ、ガチョウ番の少女オーサと、弟のマッツ、ワシのゴルゴら。彼らたちが折にふれ現れて、ニルスたちの旅は、千変万化、まったく最後まであきることがない。しかも、ニルスにかけられた魔法が解かれるときには、友だちのガチョウの命が引き換えになるという難問が待っている。ニルスは、その難題をどう解決して人間の子どもに戻るという、ハピーエンドを迎えることが出来るだろう。セルマさんは、こうして最後の最後まで読者を離さない。この幕切れは(その答えはふせて)、上にも書いたが忘れがたい。

*読み終えて、確実に言えることは、エスペラント訳が出なかったら「ニルス」は読まなかっただろうし、日本語訳だったら、こうも感激しなかったことだろう、ということである。

* eklegis: 2003.2.24. / tralegis: 2003.4. 13.


多くの伝説や物語の中から、印象に残ったいくつかのお話のうちのほんの少し
*第17章「年老いた農園の女主人」…涙を流して読んだお話である。しかも、すでにこの頃に、老人の孤独死がテーマである。といっても、現代の都会の中のとはちがって、自然の中のそれであるが、問題は同じだ。

*ニルスが、その夜、寝場所を探して荒れ地のさびしい農場の牛小屋へ行ってみると、音を聞きつけて「おばあさん、とうとう来てくださったのですね」と雌牛が云う。聞けば、おばあさんが、今夜はえさを運んできてくれないのでお腹をすかして待っているのだと。年老いたおばあさんは、最近病気がちで心配だ、母屋へ行ってみてきてくれと、め牛に頼まれる。

*はたして、おばあさんは床に倒れて死んでいた。め牛の話によると、農場は、昔はこんなにさびれてはいず、牧草はしげり、牛はどっさりいたそうだ。主人が若いうちに死んでしまうと、子どもたちが大きくなれば楽になると、まだ若かったおばあさんは一生懸命働いたのだけれど、子どもたちは、大きくなるとみんな遠くの外国に働きに出てしまい...

*ニルスは、マッチを探してロウソクをともすと、おばあさんの目をしっかりととざしてあげ、胸の上に十字に手を組んであげ、顔の上にかかったまばらな灰色の髪をのぞいてあげてから、賛美歌を小さい声で歌います。ところが、途中でやめてしまいます。自分の父や母を思い出したのです。こんなこと、想像したこともなかった、親というものはこんなにも自分の子供のことを思っているものなのだ...

*第44章「ガチョウ番の少女アーサ、と小マッツ」…病気という副題がついていて、のろいがつきまとう、少し長い話も最後はとても感動的な結末を迎える。熱い涙がこみあげてくる。読んでいる途中で、「結核」が、その「のろい」だということが分かる。セルマさんは、結核がどんな病気であるかを、それとなくこのお話で啓蒙しているかのようである。この本が出版された百年程前には、結核は大きな問題だったはずだから。(このお話は、講談社版(青い鳥文庫、山室 静訳)では、割愛されている)

*南スウェーデンにあるニルスの村の近くまで出稼ぎに来ていた、孤児のアーサとマッツは、実は以前、スモランドで両親と一緒に兄弟4人で幸せに暮らしていた。ある日、貧しい放浪の女性を家に泊めるまでは。その女性は、その晩ひどい咳で苦しみ、次の日、自分を荒野に捨て置いてくれとと云う。放浪仲間とけんかして、のろいをかけられたのだ、私の世話をする人には次々に不幸が訪れるから、と。事実、その女性が亡くなってから、次々にふたりの兄弟が亡くなり、それが原因で、お父さんは家を出てしまう。お母さんもまもなく亡くなって、アーサとマッツが残された...



 

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