*エスペラント文はとても読みやすい上に、お話が、男性の読者として、とても楽しめる。女性は、こんな風に男女間のことを考えているのか、と。もし、夫婦間で何か意見が対立しはじめた、あるいは、考え方に違いが感じられるようになった、というようなことが生じはじめたら、この本を一読されることをおすすめしたいほど。
*「1938年6月28日。私は、フライブルグで生まれた」という文章でこの物語は始まる。著者のことを書いているのかも知れない。いずれにしても、ヴィーゼマンさんによる「前書き」には、この著者の紹介があり、著者が自分の体験に、小説や映画で見たこと、友人から聞いたことや本で読んだことを混ぜて書いた、とある。主人公の名前は、著者と同名のパウラであり、かなりの部分は実際の体験と考えても良いのではないか。男女間の心理描写が、心にくいほどに良く書き込まれていて、実体験でなければここまで書けないのではと思わされるから。だから、面白いのだが。
*随所で、著者のエスペラントに対する意見やら、注文やらが語られる。例えば、男性、女性への愛称としての -ĉjo と -njo が、グロテスクだとか(p.19)、地名をエスペラント化するときに統一が取れていないこと(発音でか、意味でか、p.97)とか。後書きで、PIVはもちろんなければとても困るが、しかし、その中の語の定義にはいくつか同意できない点がある(いくつかの動詞が他動詞とされていることなどを例にとって...p.177)と。
*そして、1章をさいて(小説から脱線して)、ご主人のゲオルグさんとの、英国語の浸入にどう対処するかという議論の末の著者の素敵な意見が語られる。「ローマによって滅ぼされたが、アテネはローマを征服した(Konkerita de Romo, Ateno konkeris Romon.)」という言い回しがある。すなわち、文化が優れていれば、滅ぼされることなく逆に相手の文化を征服してしまう、という意味の。したがって、エスペラントは非常に優れた言語なのだから、そのうちに、英国語など征服してしまうはずだ、と(このことについては、「エスペラントの効用」の(35)に訳出した)。
この言い回しばかりでなく、そのほかにもことわざや決り文句が作中に沢山出てくる。日常の生活で使ってみたくなるような。
*しかし、そんなことよりも本流のお話の方がもっと面白い。父親との間がうまくいかない母親から、徹底的にいじめられるのに、一方お兄さんの方はというと、べた可愛がりをされるという環境で育ったパウラが、エスペラントの講習会で先生をしていた、かなり年上のゲオルグさんと熱烈な恋を経験し結婚、...といったお話は予想外の展開をみせて、最後まで読み手を離さない。
*そして、そのゲオルグさんに「お前はカマキリだ」と決めつけられる。もちろん、愛するものを食べてしまう、という意味で。
* eklegis: 2003.2.24. / tralegis: 2003.3.11.
裏表紙につけられた、ヴィーゼマンさんによる「前書き(部分)」(拙訳)
裏表紙
*この物語に私は強い関心を抱いた。私は、それに、特異な創意、すばらしいストリーテラーとしての可能性、芸術性といったものがあると思った。私は、それに、少し時代は古いけれども、現実的で、熱意のこもったエスペラント主義を見た。私を特に熱狂させたのは、この小説の中へさまざまな人間性の深層心理学的な分析を含ませたと、パウラ・マールティ自身が語っているとおり、La Manto が持っている、まるで自叙伝であるかのような、実体験を語るに不可欠な誠実さのほのめかしである。
*この作品を、私は必ず出版しなければならないと思った。私は、この作品が私を楽しませてくれたと同じように、沢山の読者の皆さんの興味を引くものと確信している。幸いにも、私からこの少しばかり謎にみちた著者のテキストを出版するようにと持ちかけられた、勇気ある出版者も、私と同じ意見であった。 …ディーター・ヴィーゼマン