* 良い言語ということについて私はあなたとおしゃべりしたい。「どういう面でよい言語か」と、その言葉に含まれるいろいろな意義を意識して、あなたは必ず質問する。「あらゆる面で」と、私は答える。そんなにもたくさんの面でそれは私には良いのであって、まさにそれゆえに、私はこの言葉が好きなのである。…という文章でこの本は始まる。
*ピロンさんとエスペラントとの出会いは、9歳のとき。それ以来この言葉の自由自在さに、限られた単語と接辞を組み合わせて新しい意味をもつ単語がつくれる面白さに、頭脳に無理を強いることのないその造語法、あるいは文法規則に感心してエスペラントを楽しみ始める。そして、15歳ではじめてエスペラント・クラブに参加し、そこで大人たちがエスペラントのそれらの特徴に気づいていないことに、ピロンさんは幻滅を感じたことが語られる。
*そして、「私は、plifeliĉigisto (人をより幸せにするプロ)である(事実、ピロンさんは心理療法士でもある)」とご自分を紹介されている。エスペラントでは、こんな素敵な、すぐ誰にでも分かる、そして母語では一口で言えないような単語が作れる!…(私も、plifeliĉigisto になりたい!)
*fermi(閉じる)←→ malfermi(開く)の問題?、x-igi ≠ igi x の説明、などもある。
*エスペラントの言葉や文章には、mal が多くて、ついネオロギスモに走る人が特にフランス人に多いが、ピロンさんは一度も mal を不自然に感じたことがないと言い、いくつかの論点を並べて私を納得させてくれた。何しろ、9歳からエスペラントを自分の言葉にしている人の意見だから。フランス語だって、そんな言い方をするなら de が多すぎないか、などと。
*ピロンさんは、正確に物に名前をつけて区分するというデカルトのやり方の影響を受けて、フランス人がどんどん外から単語を導入し(主としてギリシャ語から、高級そうに見えるから)新しい事物や観念を表そうという態度を痛烈に非難する。すでにある言葉を(内からの言葉を)使えば良いのにと、アジアの人たちがますます苦しむばかりではないかと。ここで、若き日の出口京太郎さんの言葉が引き合いに出される。
*出口さんは、エスペラント世界大会で講演を聞いたときに、次から次へと難解な単語が出てきて困ったという。ピロンさんは、そんな専門用語を使わなくても同じ意味のことを分かりやすい造語で、いくらでも言い表すことができるといくつも例をあげる。
*さらに、Waringhien が、「詩では mal や sen や ne をあまりくり返し使ってはいけない」と書いているのを批判し、さらに、彼らの手になる旧版の Plena Ilustrita Vortaro の偏見に満ちた訳語を槍玉にあげる。左脳が右脳を押さえつけようとする良くない傾向であるなどと。論旨が分かりやすく明快で、とても痛快である!
*ここに取り上げたのは、「良い言語」の第2版であり、したがって「あとがき」に第1版出版後に寄せられた手紙、この本への書評などに対してのピロンさんのコメントが載せられている。その中で、Waringhien さんの、ピロンさん宛ての1990年12月28日付の手紙に「私を、あなたの本は傷つけてはいない」と書いていることを紹介している。この「第2版へのあとがき」も本書の内容をより良く理解する上で大変参考になる。
*文学的にも優れた言葉であるとして、ベルレーヌの有名な詩「秋の日の、ビオロンの、ため息の、...」の Pagnier さん、Grabowski さん、Kalocsay さんの訳と、ピロンさんの難しい単語を使わない訳が4、5例示される。ピロンさんの面目躍如である。
*この、私のホームページの「エスペラント、100の効用」の(33)と(34)に、この本から「効用」にふさわしいと思った箇所の拙訳を載せた。
* eklegis: 2003.3. 1. / tralegis: 2003.3.11.
裏表紙のキャッチ・コピーの拙訳
*なぜ、エスペラントが、心理的にも、社会的にも、道徳的にも、芸術的にも、構造的にも良い言語だといえるのか。エスペラントは、世界的に見た言語の歴史の中でどこに位置するのか。エスペラントは、これからどう発展していくのか。
*エスペラントは、今や、いかなる個人、あるいは、いかなる機関の決定よりも強力な、集団的な現象なのか。一度もはっきりとは定義されていない原理が、この言語(エスペラント)の平衡性を実際的に、無意識的に支配しているのか。
*第1版が熱狂的に受け入れられたこの本は、読者に言語について考える上での新しい道を開いてくれるような、いろいろな問題を扱っている。
*この第2版に書かれた後書きには、第1版に対してなされたとても活発な意見に対するコメントも掲載されている。