*これもトーゴーランドの Koffi さんの作品。まえがき、に続いての10章からなり、まえがきで触れられているとおり、読者は、この作品でアフリカでの、特にトーゴーランドでの学校生活を知ることができる。
*しかし、この学校生活を続けていくことを、「冒険(aventuro)」と Koffi さんが例えているとおり、大変なことなのである。Koffi さんにしてみれば、アフリカへ後からかってに押しかけてきた白人達へ、是非、伝えたいメッセージなのだろう。
*作品は mi(私は)で、語られ、言うまでもなく Koffi さんが高等教育を終えるまでの自伝である。Koffi さんは、この作品から、1963年から、初等教育を生まれた村の唯一の学校、小学校で、中等教育は地方の都市で、最後の高等教育は首都のロメで受け、1979年に学業を終えていることが分かる。
*田舎でお百姓さんをしているお父さんからの援助はなく、親族の伯父さん達の援助で学業を続ける Koffi さんには、最後まで、出費をぎりぎりに切り詰め、いかに食べ物を手に入れてお腹を満たすかの問題がつきまとう。しかも、学校までは遠くて、朝早く起きて何キロも歩かなければならない。marodi(畑どろぼうをする)というなつかしい単語を覚えた。
*「いろいろな世界」で、先生になった Koffi さんが、自分が生徒だった頃と同じように、まだ教室に残って昼ごはんを食べずに我慢している子供がいる、と嘆いている。北と南の間のこの不公平さを、いつか人類は解消できるのかと、切ない思いにかられる。消費期限が切れたと、ゴミ箱に簡単に捨ててしまう生活を反省しなくてはいけない。
*学費と食事代でお金がなくなってしまい、石鹸を買うためのお金がない、という言い回しが何度か出てくる。「自分の体と1枚しかないシャツを洗う時は、友達の石鹸を貸してもらうことにしよう」などと(我が家では、お歳暮などでもらった石鹸がゴロゴロしているのに)。文化風習のちがいによるのか、この石鹸にまつわる事情は、私には良く分からない。
*それにしても、Koffi さんはなんという勤勉な人なのだろう。毎日が腹ペコなのにもかかわらず、小学校も、中等教育も、最終学歴もほとんどを学年で1位の成績で通し、時には奨学金をもらったりしている。
*思春期になって、試験休みに友達は女の子と遊んでいるのに、mopeulo (MOrtinta PEniso: スワヒリ語(?)からの意訳と思われる)とからかわれても意に介さず、時間を惜しんで勉強する。
*学校制度のちがいも興味深い。学期は10月から始まる。小学校では学年末に試験があり、合格できないと進級できない。Koffi さんは、6年生の時、何年も留年していて体の大きい子にいじめられながら勉強している。
* tralegis: 11.24. 2002
第1章を初めから少し訳してみた
* 5才になるとすぐ、私は学校へ通っている仲間の真似をして遊んでいました。私は、彼らが歌を歌ったり読本を朗読したりしているのを聞いて楽しんでいました。「学校って、信じられないぐらい楽しいところなんだ」と私は思いました。「だけど、そこに入るにはどうすればよいのだろう」 私は学校へ行きたかったのですが、お父さんが反対していました。クアチ伯父は、少しばかり頭の良い人だったのですが、自分の甥や姪達が彼らの両親と同じように学問がないのはいけないと考えていました。そんな訳で、彼は子供が4才になったら、学校に行かなければならないと言い続けていました。もう6才になっているのに、まだ学校に行っていない私のことで、伯父さんは大層心をいためていました。私の人生のことを考えていないと、ロメから帰ってきた伯父さんは、両親を叱りました。
* 日がたち、月がすぎ、そして年も過ぎましたが、私はまだ、お父さんやお母さんと一緒に家で過ごしていました。私のことで、クアチ伯父の不満はますますつのってゆきました。伯父さんは手紙をお父さんに出しました。その日---その日のことを私はよく覚えていますが---お父さんが狂ったようにお母さんを叱りました、なぜなら、お母さんが伯父さんに、私が学校に行くのを拒んでいるのはお父さんだ、と知らせたからです。
* 「手紙には、何て書いてあるのですか」と、お母さんが聞いても、お父さんは口をきっと結んだまま、一言も返事をしようとしません。
* 「私の父親も学校へ行かなかったし、私も行かなかった。なぜお前の兄が、白人のように盗んだり、奪ったり、嘘をついたりすることを Koffi に学ばせろ、と言うんだ」とお父さんは目に涙を浮かべながら言いました。