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最近読んだ「エスペラント図書」のリスト


読書記録 (121)
Kiun libron mi legis lastatempe? 

Kie boacoj vagadas (Eija Salovaara)

『トナカイの棲むところ』  (エイヤ・サロヴァーラ)


(21.1 x 14.9 x 0.9 cm: pp 72: DANSK Esperanto-Forlag 1967 年刊)

Unuvorte
*ラップランドをこよなく愛する環境保護派の著者による美しいエスペラント。一度読んだらラップランドへ行きたくなってしまう! そして、暑い盛りの真夏に読むには避暑法としても最適!


読書メモ
*タイトルページに「真夜中の太陽の国、忘れられない愛する国にささげる」とある。そして、つづけて”ラップ人の強いあこがれを血の中に持つ全ての者は、絶えず北にあこがれる”、と。製本はフランス綴じである。

*序とエピローグと、9編の短編小説からなる。

*例によって、地図帳を引っ張り出してきて、オウル川、首都ロヴァニエミ、オウル市、ボスニア湾、トロムセー、キリピスヤルヴィなどと探すのも楽しみの一つ。

*フィンランドの人が書いたものを翻訳を介さずに読めたりするのは、エスペラントの楽しみの一つ。趣味として英国語を勉強していたとして、そして、フィンランド人が英国語でラップランドについて書いたものを読んだとして、この痛快さが味わえるだろうか。

*裏表紙の出版者による紹介文:
 「トナカイの棲むところ」はフィンランドの女性作家、エイヤ・サロヴァーラさんによって書かれたエスペラント・オリジナルの小説集である。彼女はこの本の中でフィンランドの最北端に住む人たちの運命、その地の迷信や神秘的な出来事を語り、自然の美しさや荒涼とした森林の静けさや果てしない極北の山地を、我々皆が賞賛を惜しまない、エレガントで色彩に満ちた筆致(スタイル)で描く。
 サロヴァーラさんは20年以上前にエスペランティストとなった。すでに「緑の星のしるしの下に」で、彼女のお話と彼女の語り口の優美さに、エスペラント界は衝撃を受けている。疑いもなく、これから先、何度も皆さんは彼女の名前を見ることになるだろう。

*エピローグで、ラップランドにも近代化の波が押し寄せてきて、昔の神秘性が薄れてきた、と著者は言う。1960年代の時点でである。2000年を越えた今、もっと俗化したかと思うと...

* tralegis: 2005. 7. 18.


9編の短編のタイトルとあらすじ

「無」がドアをたたく("Nenio" frapas sur la pordon)・・・「1959年の秋、私は仲間とラップランドへの旅に出た...」。北の果ての地で、真っ暗な夜、仲間が別棟でダンスに興じているのに、私はひとり宿泊棟で休んでいた。すると、足音を聞かなかったのに、ドアをたたく音が3回、そして、再び...
 アンソロジーか何かで、この話、前に読んだことがある。今、思い出せないでいる。

一緒に連れて行ってくれる女の人(Kunprenantino)・・・「私たちは、また、ラップランドへの旅に出た。1960年9月のことで、いつものように北極の自然の見せる秋の輝きが私たちをラップランドで素敵な週末を過ごすようにと誘っていた...」暖房が効きすぎてなかなか眠りにつけない私は、不思議な夢を見た。夢の中の町で、去年死んだはずのアイリに会った。私は彼女に言った「私を連れにきたの?」...

熊(La urso)・・・オウルンヤルヴィ湖に浮かぶ島々には、夏の間、羊が放牧され、秋に飼い主が丸々と太った羊を連れ帰るのだった。ある8月の午後、魚つりに来た三人の旅行者がそんな島の一つにテントを張った。一人は10歳の男の子で、大人たちがテントを張っている間、森の中へ遊びに行ったが、やがて戻ってきて「すぐに島を出て。熊を見た」と言い出す...

北の悲劇(Norda tragedio)・・・その若者はラップランドの未開の地を一人でスキー旅行してみようと思った。彼は他者からの完全な自由と一人立ちを実感しようと思ったのだ。自分の好みに従って気ままにスキーをしようと。未開の地に一人で入り込んで行くのは危険だ、などとは考えもしなかった... 3月4月などには魅力を感じなかった。彼は、旅行者がまだ北へやってこない、2月にラップランドに入ろうと思った... 1965年に起きた実話である。

ブランデーが好きな男(La viro kiu ŝatas brandon)・・・寒い冬中、ずっと働いてしっかりお金をためた森林労働者、我らの三人は、二週間の休暇をとって首都ロヴァニエミで楽しくお金を使うことにする。帰りのバス代も歩いて帰ればいいからと、ブランデーを買い込み歩き出す。そのブランデーも最後の一本となってしまった時、アメ車が止まって、降りてきた男がそのブランデーを売ってくれと言う...

ラップランドの森での緑の出会い(Verda renkonto en Laplanda arbaro)・・・9月のラップランド、三たび。「...いつものように、誘惑に逆らえず、私たちは北へと急ぐバスの中にいた...」 二人のイタリア人登山者が、登山中の我々を見つけて、明らかにホッとした様子で急いで近づいてきた。しかし、言葉が分からないので何が彼らを悩ませていたのかがさっぱり分からない。「彼らの一人が皮のジャケツを脱いだ。私が何を見たと思います! 彼のスポーツシャツの襟に緑星章が明るく輝いていたのです!」...「今でも私は私の仲間のびっくりした顔をよく覚えています。イタリア人と私が、突然、彼らが全く知らない言葉で話し始めたのですから」...彼らは途中でコンパスをなくしたのだ。

ラップランドの女王(La reĝino de Laplando)・・・ラップランドでは町と町との間が離れている上に、交通も少ないので、バス旅行は途中で無料で客を一人、二人乗せるのがしきたりのようになっていた。ある夏、スキボトゥンの祭りへバスで出かけたときのこと、途中でラップ人の老女とその孫を乗せたことがあった。彼女はおしゃべり好きで、自分はラップランドの王、ボアツォ・ウーラの妻だと言う...

春が村に入り込んできた(Printempo penetras en vilaĝon)・・・「1966年の夏のこと、太陽がヘルシンキの町をギラギラと照りつけていた。ラップランドからやって来た私の友達と私は、首都のテラス・カフェの日傘の下に座っていた。昼食の休憩時間を利用して私たちはそこで会っていたのだ...」 ラップランドの美しい春も時には雪解け水の大洪水を伴うことがある...

マッガはどのようにして自分の母を救ったか(Kiel Magga savis sian patrinon)・・・「マッガは両親や兄弟と一緒に広いラップランドの湖、イナリ湖の岸にある小さな小屋に住んでいた...」 湖を渡る風が台風のように強くなった8月の終わりのことだった。父は遠くに漁に出ていて、家には母が病の床に臥していた。夜になって、母の痛みがひどくなり熱も出てきた。マッガは風雨の中、対岸のイナリ村に向けてボートを漕ぎ出す...

エピローグ(Epilogo)・・・「新しい時代、近代化の波がラップランドにも押し寄せてきた。新しいホテルやスポーツ施設が山上に、あるいは、森の中に建ち並び、巨大な道路が、かって、道もなく数十年前はトナカイだけが歩いていた、原始林の中に造られている...」 「無(nenio)」をはじめ、かってのラップ人の超自然な生き物がいなくなってしまったことを、今、私は、非常に残念に思っている。それが無いラップランドなんて考えられない...いまだに、野生に満ちたラップランドにあこがれる人が沢山いる。なにが彼らを北へと引き寄せるのか分からないままに。それこそラップ人の魔力が存在する証拠なのでは。
 そして、最後にもう一度、
 ”ラップ人の強いあこがれを血の中に持つ全ての者は、絶えず北にあこがれる” 

(2005. 8. 21. 最初の書き込み。)
(2005. 8. 22. 補足。)

 

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