*この夏(2002年)、北米のエスペラント夏期学校で、ロシアのアレクサンドロ・メルニコフ先生はこの本からいろいろな箇所をコピーしたものを教材として使った。その内容はいずれもが考えさせられるところの多いものだったので、私の本棚に読みかけて放ってあるこの本を、帰ったら是非通読しようと思っていた。そのメルニコフ先生の名前も、若手の活動家の一人として登場する(68頁)。
*ペレストロイカ後のロシアで発行されたもので、紙は粗末だが、エスペラントの中級レベルにあると考えている人は一度は通読しておくべきである。活字は小さくて、中身はたっぷり。
*何より重要なことは、これを読み通すことで、エスペラント100年の歴史とその歴史にかかわった重要人物について、概略ながらその全貌を見渡したことになるから。例えば、日本人では、いとうかんじ、宮本正男、小西岳、上山(まさお)、の名前が出てくる。
*全体は26 章からなり、各章は10頁強。2週間おきのエスペラントの例会の記録の形をとっている。すなわち、第1章、1月、司会者の「新年はじめての例会です」に始まり、第26章、12月、「31日に行う新年のエスペラント舞踏会への準備を忘れないでください」で終わる。除夜の鐘を聞くかわりに、ダンスをしながら新年を迎える、なんて。そういえば、ノーベル賞の田中さんが、ダンスをしなければいけないそうです、と言っていた。
*各章は、例えば、司会者が「今日のテーマは日本です。…少し前に Igor さんが日本から戻って来ましたので、日本の現代生活の一面を話していただきます。それでは、Igor さんどうぞ!」と言う調子で始まり(第17章)、Igor L. さんの「プラウダ」への記事がエスペラントに翻訳されて掲載され、例会の最後はたいてい詩の朗読で締めくくる。そのあとに註 (komentaro) と、演習問題 (lingvaj praktiko) がある。
*この註に、文法上の説明がなされるのは勿論であるが、その章で引用された作品の著者の略歴、歴史上の事件のあらまし、などがあり、これがなかなか有益。エスペランティストに必須の基礎知識が満載。
*演習問題もよく工夫されていて面白い。しかし、これを一つ一つこなしていたらこの本を読み通すのに何年もかかってしまうのでは? 例えば、上記の第17章の問題(1)は、「日本を旅行していると想像して、あなたがいろいろな場所でどのようなサービスを受けたかを皆に話してください」とある。下書きを作ってブツブツと独り言をいう、というふうにまじめに演習問題にとりくめば、しかし、きっとエスペラント、すごく上達する!
*1-2頁で、つぎつぎと話題が変わるので、細切れにしか時間が取れない人の学習用として最適。
*日本人によるエスペラント作品の断片を、日本のエスペラントの歴史とともに紹介する本を全文エスペラントで作ったら面白いかもしれない。
*なお、最近の「エスペラント」誌(世界エスペラント連盟:UEA の機関誌)に、この本の新版(2002年版、二色刷り、表紙はザグレブの世界大会会場前の風景、遠足のバスが帰ってきたところ)の広告が見られる。手に入ったら是非読みくらべてみたい。
* tralegis: 10.20. 2002
内容
*いくつかは上に書いた。そのほかのもので、私にとって特に重要と思われたもの、面白かったもの、あるいは私の関心をひいたものを列挙する。
*まず、'zozo'。 エスペラントの単語を思いつかなかったときに zozon, zozas, などとこれで代用する! 何と素敵なアイデア! でも、実は、これを認めると大変なことになってしまう!(214頁)
*L. Friis さんの小文は講習用教材として一度使って見たい。「どのようにして私はエスペランティストになったか」という題がつけられているもので、エスペランティストの友人に、エスペラントはやはり駄目だよ、と反論するために、その友人に薦められたエスペラントに関する本を読んでいるうちにとりこになってしまう話。一方、その友人は結婚したあとエスペラントに対する熱情がさめてしまい、エスペラント界から去っていってしまう(200-202頁)。
*ドレーゼン、ネクラソフ、などベテランのエスペランティストが1930年代の後半にいずれも亡くなっている。スターリンによる粛清の結果である。1960年代に無罪とされ復権しているが、なんとも痛ましい。この本全体を通してロシア(ソヴィエト)におけるエスペラント運動の興亡がよく説明されている。何もしなかった1979年創立の ASE の誕生とその死、ペレストロイカ後、かっての若手活動家を中心に1989年に誕生した SEU (Sovetrespublikara Esperantista Unio) のこと、など。
*「水爆の父」といわれる、サハロフが1979年のロシアのアフガン侵攻に対して反対し、それも理由の一つとなってゴーリキー市(ロシア語の単語の gorjkij エスペラントで amara '苦い’という意味がある、という)に追放され、のちゴルバチョフと協力してペレストロイカを推進した、こと(309頁)。
*エロシェンコの紹介もたっぷり。カロチャイによるエロシェンコの経歴を紹介した小文(252-256頁)に続けて、1979年KLEG発行の "lumo kaj ombro" からとった、'Turo por fali' という童話を二章に分けて紹介している。魯迅とのツーショットも。