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BIBLIOGRAFIO-8


La Zamenhof-Strato

 … 「ラ・モヴァード」  2004年2月号(636号) 10頁

  巻頭に4枚の写真がある。どの写真にもザメンホフの孫であり、コンクリート工学の 権威として功なり名を遂げたザレスキーさんが写っている。1枚目の写真は、この本 の著者のドブジンスキーさんと一緒にリトアニアにあるザメンホフの胸像の前で 撮ったもの。2枚目は、ワルシャワのザメンホフ通りの表示がある建物の前で。3枚目 は、ローマ法王パウロ2世に「寛容のメダル」を手渡しているもの。4枚目の写真で は、ザレスキーさんはブラジルのボーナ・エスペーロにあるザメンホフの胸像の前 で、孤児たちと肩をくんでいかにも楽しそうだ。ザレスキーさんはどの写真でも優し さに満ちたいい笑顔で、かって、ユダヤ人として、ザメンホフ家の血を引くものとし てナチスの迫害を受けたとはとても思えない。

  この本は、テレビ・ジャーナリストでもある著者がザレスキー・ザメンホフさんに、 祖父のザメンホフ、父のアダム、母、叔母のソフィアとリディアについて、そして、 ザレスキーさんの小さいころから現在に至るまでのエスペラントへの関わりについ て、インタヴューする形で構成されている。本書の題名は、世界の数ヶ所にある実在 の通りの名前として、あるいは抽象的に「ザメンホフ通りはどこへ通じているのか」 といった形でくり返し本文中で取りあげらる。

  対談は、「壁」、「島」、「塔」、「道」、「橋」、という象徴的な題をつけた5章 に分けられているが、ウイットに富んだ会話が同じ調子で最終章までつづく。4枚の 写真は第2章以下の対談の内容の一部を説明するものであるが、写真のない、ザレス キーさんの生い立ち、ワルシャワのユダヤ人収容所(ゲットー)での生活、ゲットー からトレブリンカ強制収容所へ送られそうになる顛末などが語られる第1章の「壁」 は、著者の的確な質問のおかげでとても生々しいものとなり、まさに小説よりも奇な りで私はその事実に圧倒された。

  残る4章はザレスキーさんが技術者として、海上の採油施設など巨大建造物の建設に 携わった話と、現役を引いた後、ふたたびエスペラント運動に「ザメンホフの孫」と して関わる話とに大別できる。大戦後、ワルシャワの廃墟を目の前にして、ザメンホ フ一家の伝統の医学ではなく、建築学を志したこと、本州と四国にかける橋の技術的 な問題で、日本を訪れていることなどが語られる。後者の話題として、1934年から 1937年までは、両親に連れられて世界大会に参加し、Eta Princo として、大会参加 者からちやほやされたこと、母と祝電を打ってザメンホフ一族の生存を知らせ、参加 者を歓喜させた1947年のベルン大会のことなどが話される。それらの話の全体を通じ て、随所で、ザメンホフはどこの国で生まれたか、エスペラントの発祥の地はどこと いうのが正しいのか、エスペラントを話す人は世界でどれぐらい存在するのか、エス ペラント発表50年目に当たる1937年のワルシャワ大会で、誰もが50年後にはエスペラ ントは勝利を収めていると思ったのに、何がその発展を妨げたのかなどが話し合われ る。特に私に興味深かったのは、ザメンホフのユダヤの出自を当時のフランスのエス ペランティストたちが隠そうとしたことで、その事実が明かされたのは、約半世紀後 のいとうかんじさんの著作による Michauxへの手紙の全文の刊行であると、語られる 部分である。ヨーロッパの人たちの間にある反ユダヤ主義の根の深さを思い知った。 エスペラントを入門講座などで学習するとき、語学面だけが強調されるきらいがあ る。この本は、エスペラントがその発展の歴史において直面した数々の問題点を読み やすい対談の形で提示している。エスペランティストは勿論、エスペラントをよく 知ってもらうために、外の世界の人にもこの本を是非読んでほしい。

  さて、ザメンホフ通りはどこへ通じているのだろうか。私は、ザレスキーさんの短い 答、「上へ(Supren!)」がとても気にいっている。 (12月20日、2003年)





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